英語力底辺からの挑戦!オーストラリアでの看護師資格取得|留学体験談

お名前小川 瑞希様
留学期間2016年6月から2021年4月滞在都市シドニー・パース・アデレード/オーストラリア

英語が怖かった‥そんなところからオーストラリアでの正看護師資格取得までいたったMizukiさん。もともとは英語よりも韓国語の方ができたということもあり、気がつけば今やトリリンガルになってしまったのだから驚きを隠せません。「私でもできたから、勇気を与えられる体験談にできたらいいな」ととても暖かいメッセージもいただきました。本当にたくさんの壁にぶつかりながらも一つ大きな目標を達成されたMizukiさんの体験談をぜひ読んでみてください。

1.きっかけは韓国留学!?趣味と仕事両面で感じた英語の必要性


今回オーストラリアで大学を卒業、正看護師資格を取得した私ですが、実は20代前半頃まで「英語なんて必要ない」と思っていました(笑)母親の影響もあり韓国の音楽やドラマが大好きで、留学もオーストラリアより先に韓国に行っていたほどです。ただ、韓国留学してみて気がついたのが「英語の必要性」でした。韓国で語学学校に通っていた際、生徒同士のコミュニケーションが英語だったのです。考えてみれば当然なのですが、いろんな国の学生が韓国語を学びにくる、しかし就学を開始した時点で韓国語は話せません。結果、クラスメイト間の共通言語として英語を使うのです。

渡航前から音楽やドラマにどっぷり韓国語に浸かっていたこともあり、ある程度韓国語を話すことができた私は、「授業の宿題の範囲がわからなかった」「放課後、サムギョプサルをみんなで食べに行こう」こんなクラスメイトとの何気ないコミュニケーションに英語が故についていけないことを悔しく思いました。そんなふうに感じたとき、職場でもときおり英語が必要だったことを意識するようになりました。日本語でコミュニケーションのとれない患者さん、またそのご家族とのコミュニケーションに戸惑っていた自分を思い出したのです。

「あぁ、やっぱり英語って必要なんだな‥」

英語は高校で思いっきり挫折した科目でした。小中学校の頃は英語を話せることに憧れもあり、スピーチコンテストに参加したこともありました。しかし、高校に入り文法が難しくなり挫折。看護学校も推薦入学していたため、英語に対しては挫折感と抵抗感が強く残っていました。ただ、仕事の面でも趣味の面でも必要性を感じてしまった以上、やってみたいと思う気持ちは止められません。英語圏への留学、ワーホリを考えるようになっていきました。

2.運命を感じた海外看護有給インターンシップ


少し話は変わりますが、私は幼い頃からずっと「看護師になりたい」と思っていました。物心ついたときには医療や看護に興味があり、小さい頃は「救命病棟24時」など医療系ドラマを食い入るようにみたり、授業中暇な時間があるとノートに心電図の落書きをしたりしていました。「看護師になりたい」と思うようになったのはもはや昔すぎて覚えていないくらいです。

高校卒業後、進路選択をするとき「お前は医療ミスを起こしかねないから看護師にはなるな」と両親に反対(今思えば心配)されました。すごい理由での反対でしたが、このタイミングで私自身も改めて看護師以外の選択肢を考えました。しかしいくら考えても看護師になりたかったのです。最終的には両親の反対を押し切り専門学校に進学しました。就職後は大学病院のNICUで働いていました。看護の仕事が大好きでした。日々の仕事にとても大きなやりがいを感じていました。ただ、専門学校卒業後はひたすら職場と家との往復でした。やりがいも成長も感じてはいたものの、今振り返ると少し疲れてしまっていたのかもしれません。

仕事を辞めたのは臨床5年目のときでした。先述しているようにこのときは韓国留学に行くための退職でした。当初予定していた韓国への留学期間は1年半〜2年間程度でした。しかし、身内の不幸があり5ヶ月間で帰国。当初の予定よりはだいぶ短い期間でしたが韓国留学に少し満足していたこと、また家族が心配だったこともあり、このあと韓国に戻ることはしませんでした。そして気持ちは「英語」に向いていきます。

仕事の面で英語の必要性を感じていたこともあり、看護師の資格や経験を生かせる留学はないかと考えるようになりました。早速「看護 留学」などとググってみるとワールドアベニューの「海外看護有給インターンシップ」が見つかりました。オーストラリアのワーキングホリデー制度を利用して看護(正確には看護助手)として働きながら海外生活を楽しめるというものでした。「看護×英語×ワーホリ」これらのキーワードが繋がる海外看護有給インターンシップはとても魅力的に感じました。

ワールドアベニュー以外にも留学サポートを行っている会社は山のようにあります。海外看護有給インターン以外にも留学プランや学校も数えきれないほど存在するでしょう。しかし、考え出したらキリがありません。「変に迷って悩んで、時間や労力を無駄にするのももったいない」そう考えた私は、最終的に説明会に参加、実際にプログラムに参加している人の話を聞き楽しそうだったので「これで行こう!」と渡航を決意しました。友人が2人ほどオーストラリアのワーキングホリデーに行って楽しんでいたことも背中を押してくれた要因の一つです。

家族の様子が落ち着いたタイミングでオーストラリアでの留学に向けて貯金するため前職の職場に復帰。約1年程度かけて貯金し、オーストラリアに飛び出しました。

3.英語力底辺からの挑戦、海外看護師資格取得を目指した意外な理由


海外看護有給インターン、そしてその後の海外看護師資格取得、いずれも苦労したのは「英語力」です。英語圏ではないものの留学経験がありそれなりに楽しく生活を送れていたこと、韓国語も上達した経験から、オーストラリアでも留学すれば英語力は伸びると思っていました。しかし‥ドラマや音楽で日頃から触れることの多かった韓国語と高校時代に挫折しその後ずっと触れることのなかった英語とでは基礎力にかなりのギャップがありました。

空港に到着するもGoogle翻訳なしではどこにも移動できませんでしたし、入国審査ではとりあえずYESと答えていたら質問攻めにあいました。ホームステイファミリーとのコミュニケーションもままならず、カフェでの注文もできません。語学学校のレベルわけテストでの結果は散々‥文法テストは設問すら理解できなかったので、選択式の問題には全て鉛筆を転がして出た答えを記載しました。さらに、スピーキングのテストでは中学校1年生レベルの単語が出てこず、当然会話も続かず、通常のテスト時間よりだいぶ短い時間で終わってしまいました。

「英語、こわい‥」

最初の数週間は、もはやわからなすぎて、若干の恐怖とストレスを感じ引きこもりがちだったくらいです。ホームステイも当初の予定は4週間だったのですが、3週間で韓国人と日本人のいるシェアハウスに移動してしまいました。

もちろん、その後、3ヶ月間ほど語学学校で英語を学び少しずつですが成長はしていきました。当時一緒に到着した仲間たちの存在も成長に欠かせない存在でした。私と同じ到着日だった子たちが私同様、英語はからっきしだめという子が多かったのです。「一人じゃない」「私たちもやればできる」そんなふうに友人たちと励まし合えたからこそ頑張れました。結果、語学研修が終わる頃には、たどたどしくもカフェで注文できるようになりましたし、街中や公共交通機関など日常生活のなかで耳にする英語へのストレスは軽減されていきました。

しかし、そのタイミングで新たな壁にぶつかります。

海外看護有給インターンシップではオーストラリアで看護助手として働くために必要な資格を取得するコースがあります。このコースは今までの英語研修とは異なり、英語で看護関連の知識を学ぶ(実技もあり)ものでした。初めての授業で教科書を見たとき、そこにある単語のほとんどがわからなかったのです。このときの衝撃は、到着当初のレベルチェックテストで設問を一つも理解できなかったときの衝撃と同じでした。

できる子たちは指定時間内に課題を終えることができるのに、私を含む英語できない組は単語を一つひとつ調べる作業から入るため同じ課題をこなすにも何倍もの時間がかかりました。

「このままじゃだめだ!!」

看護助手の資格取得コースはなんとか終えることができました。ただ、このまま看護や介護の現場で働くなんて恐ろしすぎました。それに、看護助手として働くためにはスピーキングテストに合格する必要もありました。当然、合格できるとは思えません。どうにかしなくてはと思い、資格取得コース終了後、すぐに働き出すのではなく、セカンドワーキングホリデービザ取得のためファームに行くことを決めました。

「ファーム期間でもう少し英語力を伸ばそう。
できる限り英語環境で頑張ろう。」

そう決意し、日本人が比較的少ないと言われるパースに移りました。少ないとはいうものの、パースにも日本人や韓国人はいました。完全に英語環境どっぷりとはいきませんでした。ただ、パースでは教会が主催してくれる無料の英語レッスンに通い、できる限り英語でコミュニケーション取ることを意識して生活しました。

結果、なんとかスピーキングテストを一回でパス。看護助手として働き出すことができました。

看護師ってオーストラリアで永住権取れるんだ‥


看護助手として働く前にもオーストラリアでアルバイトしたことはありました。ただ英語力の低さもあり非合法(最低賃金の給与を払わない)の日本食レストランが中心でした。よって、きちんと法律に基づき運営されている介護施設でネイティブと同等の給与をもらいながら働いた初めての経験でした。

オーストラリアで看護助手として働き始めて感じたのは日本との働き方の違いでした。

「こんなにゆったりしているんだ‥」

日本で働いていたときは職場と自宅の往復ばかりで、大好きな看護の仕事だったにも関わらず疲れてしまっていました。それを思うと「オーストラリアで働くのもいいかもな」と感じるようになりました。

実はそのとき付き合っていた恋人がいました。彼は韓国人で、オーストラリアでの永住権を取ろうと考えていました。オーストラリアで働くのもいいなぁなんて思っていたこともあり、永住権がどうやったら取れるのかを調べてみることに。すると、看護師であればオーストラリアで永住権取得を狙えるということがわかりました。

「オーストラリアで看護師になってNICUで働いてみたい」

いつしかそんな思いを抱くようになった私は、気がつくと両親に「私、オーストラリアで看護師資格取得のために大学に行く!」と伝えていました。突然「大学に行く」と言い出した娘に、両親は当然びっくり!(笑)ただ、言い出したらやり切るまで絶対に諦めない性格だということをよく理解してくれているため「もぉ好きになさい」とやや諦め気味に承諾してくれました。

このあと比較的早い段階で恋人とは別れてしまいましたが、新たな道を進むきっかけをくれた彼には感謝しています(笑)

4.大学入学のためIELTS猛勉強


大学に入るためには二つの大きな壁を突破しなければいけません。英語とお金です。
幸いにも前職の病院で働ける機会をいただいたこともあり、大学に行くために必要なお金を貯めるべく、一度日本に帰国しました。1年くらい集中的に働いて貯金するつもりでいました。ただ、心配なのは英語力です。日本に帰国し仕事漬けの生活になれば当然英語には触れなくなり、せっかくオーストラリアで身につけた英語力は落ちてしまいます。すると、それをみかねた両親が、「お金は用意するから早くいけ!英語忘れちゃうよ!」と言ってくれたのです。感謝しつつ、オーストラリアに戻りました。

当時、オーストラリアの看護学部に入るためには最低でもIELTS6.5必要でした。それまでIELTSのような4技能を測る公のテストなんて受けたことのなかった私はここでまたしても英語に苦労します。

IELTS対策のため語学学校に入ることにしたのですが、英語力が足りずIELTS対策コースに入ることができませんでした。看護インターンを経て英語でのコミュニケーションはそれとなく取れるようになっていたものの、エッセーを書いたり長文読解したりしたことなんてありません。レベルチェックテストの結果はなんとIELTS3.5でした。

「このままでは大学に入ることすらできない‥」

やらざるを得ない状況に追い込まれないとやらない自分の性格を踏まえ、私はフィリピンに飛びました。住みなれたオーストラリアでのんびり勉強していたのでは目標の英語力は達成できないと感じました。さらにセブは遊んでしまうと聞いていたため、バギオという山奥を渡航先に選びました。

手応えはなかったけど‥なんとか6.0を取得

最初の1週間は泣きながら過ごしました。母親にも「もう無理だ〜」と泣きついたこともありました。でも、3ヶ月間の猛特訓の甲斐ありなんとかIELTS6.0を取得することができました。スピーキングテストでは “funeral(葬式)” を “furniture(家具)” と言い間違え、試験管に「もしかして、”funeral(葬式)”と言いたいの?」と指摘されたり、リーディングやリスニングの回答は勘に頼っているところもまだまだ多い状況でした。ただ、ライティングではなんとか指定ワード数を満たしたアカデミックライティングをできるようになりましたし、選択問題ではまったくわからなかったところからなんとか予測をつけて答えられるようにはなりました。

最終的にIELTS6.0で大学と提携のある語学学校にて進学準備英語コースに入学。そこで10週間、英語研修を経て* フリンダース大学の看護学部(2年次)に編入しました。
*当時はまだ進学準備英語コースから看護学部に進学する際、ダイレクトエントリーという仕組みを利用できました。看護学部の場合、残念ながらこのダイレクトエントリーという仕組みを利用することができなくなりました。看護学部への入学にはIELTS7.0相当の英語力の証明が必要です。
フリンダース大学へ入学する場合の英語の規定については大学の公式ホームページをご参照ください。

5.フリンダース大学を選んだ理由


もともと暮らしていたパースの大学ではなくアデレードにあるフリンダース大学を選んだのには、「永住権獲得の可能性」と「入学条件(英語力の規定の易しさ/パスウェイ)」の二つのポイントがありました。

せっかく高いお金と時間、労力をかけてオーストラリアで看護師になったところで働けなければ意味がありません。オーストラリアの制度上、大学を卒業すれば2年間から最大4年間卒業ビザで働くことができます。ただ、やはり永住権を持っている人と比べると就職先の選択肢は狭まります。また、オーストラリアで永住権を取得すると、オーストラリア国民と同じように国民健康保険(Medicare)に加入できる他、就労や就学への制限がなくなり、オーストラリアで半永久的に生活をすることができます。

オーストラリアでは永住権申請の際に、自身の年齢や職業(資格)、就労経験年数、英語力などをポイントに換算し申請に必要な点数(ポイント数)を満たす必要があります。オーストラリアでの永住権取得は年々難易度をあげており、このポイントをできるだけ多くとることで取得できる可能性を高めることができます。例えば、ポイントを少しでも高くしたいのであれば、
1.移民局指定のエリアにある大学を選ぶ
2.卒業まで2年以上のコースを選ぶ
3.卒業後ビザを取得し1年間働く 
これらを踏まえ、大学や卒業後の就労先(地域)を選ぶ必要があります。フリンダース大学のあるアデレードは移民局指定のエリアです。よって、フリンダース大学で2年間就学することにより、オーストラリアの教育機関に就学すると獲得できる5点に加えて、さらに5点獲得できます。残念ながら当時パースは移民局指定エリアではなかっため、アデレードにあるフリンダース大学が候補に挙がりました。

とはいえパースにも看護学部のある大学はあります。最初はカーティン大学とエディス・コーワン大学あたりを考えていました。しかし、カーティン大学に入るためにはIELTS7.0が必要でした。その時の私の英語力は6.0だったため、カーティンに入るためには20週間以上、追加で英語を勉強する必要がありました。エディス・コーワン大学は6.5でよかったのですが、フリンダース大学のような看護学部にダイレクトエントリーできるパスウェイがありませんでした。こちらも追加での英語研修、そしてIELTSのテストを継続して受験する必要が出てきます。正直、IELTSの勉強はお腹いっぱいでした。大学にもお金がかかるため、英語研修にはできる限り費用をかけたくなかったというのも一つです。

結果、「永住権獲得の可能性」と「入学条件(英語力の規定の易しさ/パスウェイ)」のポイントからフリンダース大学を選びました。

まさか3年間通わないといけない!?

ここまでいろいろ考え大学を選定してきたわけですが、実は1つ不安要素がありました。それは日本で取得している看護学校での単位を認めてもらえず、2年次に編入することができないかもしれないというものです。

オーストラリアの大学は通常3年制です。ただし、日本で取得した単位や就労経験を認めてもらうことで一部の単位が免除される、また2年次に編入できる可能性があります。看護学部の場合も日本で専門学校や短大を卒業し看護師資格を有している場合、そこで取得した単位を認めてもらい2年次に編入できるという制度があります。

しかし、それは専門学校や短大を卒業後一定の期間内**であることが条件になります。私の場合、看護学校を卒業後、すでに10年近く経過しており単位移行できないかもしれないということでした。そこで、臨床経験を認めてもらえないかと、前職勤務していた大学病院に連絡、勤務証明を出していただき、大学に提出しました。すると2年次に編入できることが決まりました。退職してからだいぶ時間は経っていましたが、一時帰国した際に働かせていただいていたこと、その時の経験がこんな形でプラスに働くなんて思ってもいませんでした。前職に一時復帰することに躊躇いを覚えた際、背中を押してくれた元同期や快く受け入れてくださった師長さんをはじめとするスタッフの皆さん、全てに感謝でした。
**大学により異なりますが、専門・短大卒業後、7〜10年以内が一般的です。

6.本気でヤバいと思ったとこからクラストップを獲得するまで


紆余曲折ありながらも、いよいよ大学での生活がスタートしました。が、意気揚々と大学生活を送れたのかというと全くそんなことはありません。これを読んでくださっている皆さんはすでにお気づきかもしれませんが、またしても壁にぶつかります。そう、英語です。

IELTSの猛特訓も大学入学前に通った進学準備英語コースも経て大学に入学したわけですが、ここまでは乗り越えたというよりもすり抜けたという印象の方が強いのが正直なところです。もちろん、頑張ってきました。しかし大学での勉強と比べると、細いながらも抜け道があったように思います。

例えば大学入学直前に通った進学準備英語コース。このコースではアカデミックイングリッシュと呼ばれるエッセーの書き方やレポートの作り方、効率のよいノートテイキングの仕方などを学びます。IELTSとも異なる点が多々あり、勉強には躓いてばかりでした。そんな私がなぜ大学に入学できる成績を収めコースを終えることができたのかというと、先生のゆるさにありました。全ての先生がというわけではありません。しかし、出題される内容や題材を事前に教えてもらえることがありました。出題される問題がわかっていれば誰だって高得点取得することができますよね?本当はいけないことですが、そんなこともありました。(良い子は真似しないでください)

そして、大学入学後こんなふうに抜け道を歩んできた反動がドッと私を襲いました。

それは初めて大学でエッセーを書いたときのことです。私は、かなり頑張って書いたつもりでいました。そしてよくかけたと思っていました。しかし、結果は52点。もちろん100点満点中です。対して、周りの友人たちは70点以上‥。この時ばかりは本気で「やばい(単位を落とすかも)」と思いました。

どうしたらいいのか、エッセーはどうやって書けばいいのか、とにかく聞きまくりました。高得点をとっている友人や学生サポートセンターで基本的な書き方だけでなく、高得点を取るためのコツ、効率よくエッセーを書き進める対策、実際に書いたエッセーの添削など、とにかく勉強しました。

結果、気がついたときにはクラストップのスコアをマークしていました。
そのときチューターの方からいただいたコメントが「すごい成長したよ!私は、今回あなたがクラスでトップの成績だということを教えたい」というものでした。非常に評価が厳しいことで有名なチューターの方でそのときのエッセーはクラスの半分近くが Fail(不合格)でした。あのときは本当に嬉しかったことを覚えています。

ここにきて、ようやく今までの努力が実を結び、少しだけ自信を持てるようになりました。

厳しいチューターリストがある!?


生徒間の情報網というのはどの国でもあるものだと思います。フリンダース大学にも厳しいチューター(先生)リストなるものが存在していたようでした。なかには、留学生だと差別的な評価をする先生もいるということで「そのリストの先生にあたったらすぐに逃げろ!」というのが常識のようでした。

実は私、そういう情報に非常に疎いのです(笑)。
そのリストの存在を知らず、最終学年でも「超厳しい」と有名な先生に担当いただいていました。私は幸い、きちんと正当に評価いただきました。評価自体も高く、不服はありませんでした。ただ、実際には不当と感じる評価を受けている生徒もいるようでした。

少し話が飛びますが、私が永住権申請のことを見据えフリンダース大学を選んだように、ここには永住権目的の留学生が多く在籍していました。永住権申請獲得のためのビザにはいくつかの種類があります。なかでも最も代表的なビザが技術独立ビザ (Skilled Independent Visa)と呼ばれるビザです。このビザは自分のスキルや経歴を元に自力で申請できるビザのため、多くの方が関心を寄せています。ただ、この「スキル」というのはなんでもいいわけではありません。技術独立移民の対象職種リスト(MLTSSL)にある職業に限られます。そしてこのリストは予告なく更新されます。私が大学に進んだ年はこのリストから複数の職業が削除されました。その削除された職業を目指し、その職業(スキル)を持って永住権獲得を目論んでいた方は、夢半ばにして進路変更を余儀なくされたということです。おそらくそんな留学生が、アデレードには大勢いました。つまり、私のように本当に看護師になりたくて大学に通っている生徒ばかりではないのです。

永住権獲得だけを目的に勉強している学生が本当に真剣に看護と向き合えるのかと言われると疑問はあります。当然エッセーの内容も先生方が納得できる内容でないこともあったでしょう。だからといって変なバイアスを留学生にかけるのは間違っていますが‥

フリンダース大学はペーパーテストがなく、エッセーが成績評価の大きな軸となります。いくら優秀と言っても先生方も人間です。人間である以上、評価時、上記のようなネガティブな主観が影響を及ぼすこともあるでしょう。明確な答えのあるペーパーテストがない分、先生方の主観に振り回される生徒がいることも確かなのかもしれません。なので、そんな話があることを皆さんにはぜひ覚えておいていただくといいと思います(笑)

フリンダース大学の魅力

ファイナンシャルサポートの充実度の高さはフリンダース大学の魅力だと思います。例えば、毎週大学主催でマーケットが開かれます。このマーケットではパンが無料だったり、お肉などが破格の値段(1-2ドルなど)で売られたりしました。また、ファイナンシャルサポートデスクでは、金銭面で困っていると相談するとスーパーで利用できるバウチャーや交通費(ガソリン代など)、さらには食べ物詰め合わせセットをもらうことができました。このサービスは1セメスター中に2回まで受けることができ、私も最大で140ドル分のバウチャーとガソリン代、そして食べ物詰め合わせをサポートいただいたことがありました(笑)。

他にも、これはフリンダース大学主体ではありませんが、アデレード(街)でも学生支援を行っていて、大学同様野菜やお肉を格安で購入できるマーケットを定期的に開催しています。もちろん、シドニーやメルボルンなど大きな都市と比べると家賃なども低く、総合的に生活費は抑えることができます。

大学では勉強がとても大変です。そこに金銭面のストレスがかかるのはかなり辛い状況だと思います。よって、多少でも金銭面で援助があるのはとてもありがたいことだと思います。

7.初実習 ショックな出来事も‥


2年間の在学期間中、計4回の実習がありました。2回は介護施設、2回は病院でした。そのうちの1箇所目がなんともショッキングな実習の幕開けでした。

就職して1ヶ月目の新人看護師さんについたときのことです。彼女はもともと中国で違う仕事をしており看護師経験がなく、オーストラリアで看護師資格を取得したという方でした。まっさらな新人でした。救急で採血が必要なシーン、採血の際には皮膚にテンションをかけ穿刺するのが一般的ですが、なんとピンチアップしたのです。「えぇぇぇ!?それじゃ皮下注射でしょ‥どこでその採血方法を習ったの!?(汗)」と後ろで見ている私はもうドキドキです。その後もオドオドしながら血管を探すのですが、見つけた血管がなんとも頼りない‥我慢しきれず背後から「この血管の方がいいんじゃないかな?」とアドバイス、やり方も教えてあげました。

スーパーバイザーに「採血が苦手だ」と相談しても「苦手は克服するしかない」とスーパーバイズもなしにやらせようとします。方法を教えてあげて、なんとか採血できるとスーパーバイザーから「よくやったわ!」とお褒めの言葉が‥。

「違う!よくやったじゃない!あなたが技術的なことをスーパーバイズしなよ!!私は学生だ!」

心の中で叫びながら始まったなんともショッキングな実習でした。

実践に即した実習

とはいえ、いいなと思える面もありました。意見はどんどん積極的に発言できるし、主体的に動くことができました。日本では1人の受け持ち患者をひたすらみることに専念しますが、オーストラリアでは実際に複数人の患者を受け持ちます。医師とのコンタクトも実習生にやらせてくれますし、マルチタスクの経験、物事の優先順位の付け方なども学ぶことができました。実習と実際に働き始めてからの乖離はオーストラリアの方が少ないように思います。

8.ラストスパート!RNを目指しPTE対策


オーストラリアで看護師(RN)になるためには大学を卒業することともう一つ、規定の英語力を証明する必要があります。その英語力は高く、IELTS7.0相当です。IELTS以外にも OETやPTEなどいくつかの選択肢があります。英語のスコアを取らないことには大学を卒業しても看護師にはなれないのです。

私も改めて英語の勉強を始めました。最初は今まで勉強してきたこともありIELTSで7.0を目指すつもりでした。しかし、自分よりも明らかに優秀な周囲の学生がIELTSで挑戦し苦労していた姿を見て、「おそらく私では無理だ」と感じました。実習先のRNからも「IELTSはやめたほうがいい」と意見をもらいました。IELTSでずっと7.0取れなかった人が OETで受験したら、規定の英語力を満たせた姿を見てそう感じたそうです。

次にOETで対策してみようかと考えました。医療従事者向けに開発された試験のため、あくまで英語のテストではあるものの題材は医療関連でした。興味もあるし、実際働き出してからも役立ちそうというのが大きな理由でした。しかし、You tubeで問題を検索してみたところ、難しすぎて挑戦する気力を奪われてしまいました(苦笑)

最後に行きついたのがPTEです。PTEはコンピューターベースの比較的新しい英語の語学検定です。ちょうど仲のよかった友人からPTE対策を始めると聞いたことも背中を押しました。友人はさっそくPTE対策のため学校に通い始めました。その後、一回目の受験で目標スコア(実はそれ以上)をサクッと取得しました。

友人は自分の目標スコアを取り終えると「コツさえ掴めば絶対にできる!」と学校で習った内容を私に全部教えてくれました。持つべきものは優秀な友人です。さっそく私もと1ヶ月後にPTEのテストを設定し勉強を始めることにしました。ただ、お尻に火がつかないと動き出さない私はせっかく1ヶ月後にテスト日を設定したにも関わらず、勉強はテスト1週間前からしかしませんでした(苦笑)。当然結果は出ませんでした。友人に「ダメだったーー」と結果を報告すると、「そんなはずはない、もう一度勉強を見てあげる」と言ってくれました。そこでどんな勉強をしたのか、どのくらいやったのかなど報告。すると「圧倒的な練習不足!!!」と強くダメ出しされました(当然ですよね)。

ただ、性格はなかなか変わりません。。そこで、1ヶ月後ではなく毎週テストを受験することにしました。それでようやく勉強を継続することができました。少しずつ結果は上がっていきました。ただ、なかなか目標までは到達できません。最終、「もうこれで最後だ!」と思ったその試験でなんとか合格点を満たすことができました。

周囲の友人たちが皆、合格点を取得していたこと、そして就職も決めていたこと、友人に厳しく喝を入れてもらったこと、私を取り巻く一つひとつの状況がなんとか結果につなげてくれたんだと思います。彼ら彼女らの存在には感謝しかありません。

Mizukiさんの留学生活

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9.これから


残るは就職、ただいま就職活動真っ最中です。
私の目標はオーストラリアのNICUを経験することです。NICUでの就職は決して簡単な道ではありません。まず、希望している病院が求人を出していません‥。もはやその段階で気持ちが折れかけました(苦笑)ただ、ここまで応援してもらっておいて、目標を達成せずに帰国なんて恥ずかしくてできません。

「まずはコネ作りだ!!」

オーストラリアにおいて人脈、コネというのは非常に重要です。コネ作りをしようと考えた私は200ドル払って働きたい病院で公募している勉強会に入り込みました。勉強会では最前列に座りエデュケーターの方に、日本ではNICUで働いていたこと、この病院で働きたいことを強くアピールしました。すると、モチベーションの高さをかっていただき「求人が出たらすぐに応募しなさい、NICUのマネージャーと僕がフォローアップするから」と言ってくださったのです。

ただ、なかなか求人は出ません。そんなとき、PICUで働いている友人から連絡があり「NICUで産休予定の人が7人いるから近々求人出るかも」と言います。さらにはNICUのユニットマネージャーの方の連絡先を教えてくれるというではありませんか!!これは絶好のチャンスとばかりに、連絡先をいただき、さっそく履歴書を送りました。何がどんなご縁でつながるのかわかりません。名前を覚えていただくだけでも決して損ではないからです。
もし難しければ、正社員でなくても派遣スタッフでもなんでも始められるように、またそれすらも難しい場合は他の診療科から初め、経験を積み諦めず就活を続けていきたいと考えています。

永住権を獲得でき、一定の経験を積めたのちには、日本での経験を最大限生かすべくもう少し規模の大きなメルボルンの病院(NICU)で重症患者のケアに携わりたいと考えています。まだまだ乗り越えていかないといけないハードルはたくさんありそうですが、今までもそうだったように一つひとつコツコツ乗り越えていきたいです。

後日談

実はこの体験談インタビューのあとに働きたいと考えている病院からメールが届き、私のために求人を作ってくれたようでした。今は今後の手続きのために必要な書類集めをしています。書類提出後、面談があると思います。ポジションはカジュアル(勤務時間数などの保証がない雇用契約方法)ですが、まずはNICUで働くという目標に近づきました。これからも頑張ります!