【体験談】海外看護有給インターンシップ – メルボルンやアデレードでも仕事に挑戦!

お名前齋汐里様留学期間2022年5月 - 現在
滞在都市シドニー → メルボルン/オーストラリアインターン先ナーシングホーム

1.汐里さんの留学スケジュール

汐里さんから海外看護有給インターンシップ・プログラムに参加しての体験談をいただきました。渡航前は英語や海外生活に対して不安で仕方なかったという汐里さんですが、現在はセカンドワーキングホリデービザを利用して、メルボルンでアシスタントナースとして働いていらっしゃいます。体験談では、メルボルンでの仕事探しやアシスタントナースとして働く際の様子などお話いただいています。ぜひ読んでみてくださいね。

汐里さんの留学概要

渡航国:オーストラリア
渡航都市:シドニー → メルボルン
留学プログラム:海外看護有給インターンシップ
渡航期間:2022年5月 – 現在
インターンシップ先:ナーシングホーム

お申し込みから現在に至るまでの流れ

2.「海外看護有給インターンシップ」を選んだ理由


↑ケアンズ旅行時の写真:ヘリコプターを予約していたもののメンテナンスのため、急遽、旅行中に中止にななり慌てて小型飛行機を予約!

父が海外を飛びまわる仕事をしていたこともあり、幼い頃から海外に興味がありました。漠然とした思いが具体的になっていったのは、看護学生時代から臨床3年目くらいにかけてです。東京オリンピック開催が決定した影響もあり、訪日外国人数が増加、外国人患者さんの対応をすることも増えていきました。普段、日本語であれば当たり前にできることが、英語になった瞬間、何もかもが思い通りにならず、とても歯がゆい思いをしたことは今でも忘れられません。

「海外で生活してみたい」「外国人患者さんに、安心して日本の医療をうけてもらえるような声掛けをできるようになりたい」そんな思いから留学プランを調べているときに見つけたのがワールドアベニューの「海外看護有給インターンシップ」でした。看護師の資格と経験を活かせる点が魅力的で、学生の頃からワールドアベニューには何度か問い合わせをし、説明会に参加したり、資料をもらったりしながら情報を収集していきました。

 

なかなか踏み出せなかった一歩

情報収集は順調に進む一方で、海外への挑戦には不安も大きく、なかなか踏み出すことはできずにいました。「英語もできないのに海外で一人でやっていけるのか..」という思いが頭のなかをグルグルと巡り、身動きができなくなってしまうのです。ただ、時間は待ってくれません。気がつけば20代も後半にさしかかり、このまま行かなかったら後悔するという気持ちが強くなっていきました。そうして臨床3年目、留学カウンセリングを受け、留学に踏み出す決意を固めました。

ちなみに、看護留学について調べているとワールドアベニューのサイトが圧倒的に情報量が多く、学生時代から問い合わせてきたこともあり、会社選びは迷いませんでした。

周囲からの反対.. そしてコロナ

ようやく踏み出した一歩でしたが、家族は反対気味でした。母からは「仕事から逃げるの?」と厳しい指摘を受けたともありました。ただ、もういい大人ですし、自分のお金で留学するわけで、家族が反対したからといって留学を諦めるという選択肢はありません。そんな風に思われないよう(思わせないよう)、態度と行動で示していくほかないと考えた私は、いろんなことに挑戦し始めました。

まず、留学貯金の開始とともに、実家を出て一人暮らしを始めました。さらに、英会話と並行して、海外できちんと自炊できるようにと料理教室にも通いはじめました。

留学を決断する前は、海外生活や英語の勉強など、挑戦してみないとわからないことに対して「うまくいかなかったらどうしよう..」とネガティブに考えてしまうことが多かったですが、留学を決意してからは「やるからには最善を尽くそう」と何事に対しても前向きに取り組めるようになりました。

残念ながらコロナにより出発は当初の予定よりも1年以上伸びましたが、日々挑戦を重ねていたかいもあり、心折れることなく、オーストラリアの入国制限の解除、そして出発日を迎えることができました。

3.念願の海外生活がスタート


↑シドニーのボンダイビーチで、韓国の友人と掃除のボランティアした際の写真

2021年末、オーストラリアへの入国制限が解除されると聞き、「ようやくいける!」と心躍りました。プログラム参加に伴う書類やビザなど、最終的な準備を終え、2022年5月、シドニーに出発しました。

支えられながら過ごした1年目

最初の3ヶ月間は語学学校での英語研修でした。看護インターンの語学研修は、一般英語だけでなく、日本の方が苦手とするスピーキング・リスニングに焦点を置いたクラスとアシスタントナースとして働く際に必要な医療英語を学ぶクラスを受講します。印象に残っているのは医療英語を学ぶクラスです。医療英語クラスでは、血糖や血圧測定、褥瘡処置などの際に役立つ言い回しや単語を学びました。日常生活のなかでは耳馴染みのない単語ばかりで覚えるのは一苦労でしたが、学んだ単語やフレーズは、その後のCertificateの学習や実際にアシスタントナースとして働く先に役立ちました。

語学研修後は、アシスタントナースとして働くために必要なCertificateを取得(課題が多くて大変でした)し、スピーキングテストを受け合格したのち、派遣会社をご紹介いただき、登録手続きを進めました。

アシスタントナースとして働いたのは、主にナーシングホームでした。オーストラリアは基本的に三交代制(モーニング、アフタヌーン、イブニング)で、私はアフタヌーンのシフトによく入っていました。アフタヌーンは夕方3時頃から夜8時頃で、遅いと11時頃になります。週5-6回働いていて、忙しいときは10連勤したこともありました。しっかりシフトに入れたおかげもあり、週の給与は最低でも10万円程度とそれなりの収入がありました。

大変なことはあるものの、概ね順調にオーストラリアでの生活が進んでいきました。ただ、順調な生活の背景にはいつもワールドアベニューやMIT Institute(語学学校)のサポートがありました。渡航までの書類やビザ申請、渡航後の英語研修や仕事探しなど、全て自分でできたのか..?と言われると自信はありませんでした。

ここで、ふっと「自分だけでどこまでできるか試してみたい..!」という気持ちが湧き上がってきました。

「シドニー以外の新しい土地で、家探しや仕事探しなど、挑戦してみよう!」

セカンドワーキングホリデービザ※を取得し、2年目は都市を変え、ワールドアベニューや語学学校の紹介なしで、アシスタントナースに挑戦することを決めました。

※オーストラリアのワーキングホリデーは「一定期間所定労働に従事する」など諸条件を満たせば、2回目(セカンドワーキングホリデービザ)・3回目(サードワーキングホリデービザ)の取得のチャンスを得られます。通常この「所定労働」というのはファームと呼ばれる農業が中心です。しかし、私が「所定労働」に従事した2022年時点では、コロナ禍における入国制限の影響をうけ、深刻な人手不足に陥っている特定の地域・職種(アシスタントナース含む)での労働でもセカンド/サードワーキングホリデービザ申請が可能でした。
※ビザに関する最新情報はオーストラリア移民局のサイトをご参照ください。

4.もっと挑戦したい!とメルボルンでの生活に挑戦

メルボルンを選んだ理由は「世界の住みやすい都市ランキング」で毎年上位にランクしていたことにあります。ヨーロッパのような街並みや裏路地にみられるグラフィティ、個性あふれるおしゃれなカフェなど、数多くの魅力を持つメルボルンで暮らしてみたい.. という思いがありました。

11月から2月、夏のオーストラリアでゴールドコーストやウルル、ケアンズなどへの旅行を楽しんだのち、2年目に入ったタイミングで、シドニーからメルボルンに移動しました。シドニーでは学校から紹介してもらった派遣会社ですぐに採用が決まったのに対し、メルボルンでの仕事探しは大変でした。求人サイトから応募を試みるも、どの派遣会社も全く返答がありません。。とはいえ、派遣会社の数にも限りがあります。十数社に、最低2回ずつ履歴書を送りました。ようやく1社、電話面接の機会を得ることができるも、緊張もあり会話が成り立たず、不採用になってしまいました。

「こんなに大変なんだ..」

覚悟はしていたものの、時間ばかりがすぎていく日々にはものすごく焦りました。海外にいくことに反対気味だった両親は、当然今回の滞在延長に対しても、前向きではありませんでした。滞在延長の報告をした際に両親から言われた「1ヶ月探してダメなら帰ってきなさい」という言葉が頭にチラつくたびに「このままでは終われない!」と自分を鼓舞しながら日々就活に挑みました。

そんなある日、履歴書を送ってすぐ電話を返してくれた派遣会社がありました。1社目のような緊張はなく、受け答えもきちんとできたこともあり、すぐに採用の方向で話が進みました。現在は週3-4日、時給43ドル程度(日勤)で、アシスタントナースとして働くことができています。

収入と出費

項目 金額(月)
家賃(光熱費・WiFi込み) AUD720(72,000円)
交通費 AUD168(16,800円)
日用品・食費 AUD80(8,000円)
その他(外食、交際費など) AUD600〜700(60,000〜70,000円)
収入 AUD2,000〜3,000(20〜30万円)

※1ドル=100円計算

オーストラリア旅行中のお写真

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アデレードでの仕事にも挑戦

実は、先日派遣会社から紹介をうけ、アデレードの施設に2週間限定で働きに出ていました。その施設は、アデレードのシティからタクシーで2時間ほど離れた場所にあり、Wi-Fiが通じませんでした。テレビもなく、あるのはビーチとカフェとレストランだけです(笑)

利用者は認知症の方が8名ほどの小さなグループホームで、シフトは夜10:45から朝の7:15まで、夜勤専従でした。夜勤スタッフは1人のため、混乱している利用者との英語での会話や、慣れない夜間の介助、行動障害への対処など、最初の数日はかなり大変、かつ不安なことばかりでした。1人なので、何事においても自分で考え行動しなくてはいけません。何が正解かわからないなか、もがきながらの2週間でした。しかし、大変だった分、やりきってみての達成感も大きく、アデレードでの経験は自己肯定感を高めてくれました。

オーストラリアでアシスタントナースとして働いてみて感じること

オーストラリアのナーシングホームで働いてみて驚いたのは「自由度の高さ」です。ご飯は美味しいですし、お酒もタバコもOKです。また、人種や国籍など、異なる背景を持つ方が多く、互いの「違い」を尊重する姿勢は勉強になりました。

例えば、メルボルンにはアボリジニーの方専用の施設があります。宗教や文化的な背景からか、介護が必要な方でも体に触られることや個人の部屋に入られることに対して強い抵抗感を持っている方もいます。そういった人たちに対して、どのようにケアを提供するのか?など、日本ではなかなか考える機会を得られなかったように思います。

5.メッセージ – 挑戦したいことにはした方がいい!

今後のことはまだ定まっていません。日本に帰るのか、サードワーキングホリデービザを取得してオーストラリアに残るのか.. はたまたオーストラリアで正看護師資格取得に挑戦するのか..?などいろんな可能性を考えています。ただ、こんな風にいろんな選択肢を模索できるようになったのは、今回の留学が大きく影響していると思います。

1年半、オーストラリアで生活してみて感じることは「強くなったな」ということです。渡航前はありとあらゆることが不安でした。しかし、メルボルンへの挑戦、アデレードでの経験、自分で考えて決断して行動して、うまくいかないことも多々ありますが、そんななかでも、今こうしてきちんと生活できるようになり「なんでもやればできる」と思えるようになりました。

人生一度っきりです。挑戦してみたい!と少しでも思っているのであれば、ぜひ一歩踏み出してみることをお勧めします。

6.さいごに


体験談を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。体験談インタビューでは、渡航前、海外生活が不安で不安で仕方なかったというのが嘘のように、楽しそうにオーストラリアでの生活をお話いただいたのが印象的でした。

留学する決断を経て、いろんなことに前向きに挑戦できるようになったという汐里さんの体験談から一歩踏みだす勇気を掴む方がいらっしゃることを願っています。

ワールドアベニューでは看護留学について日々様々な疑問質問にお答えすべく、定期的にオンライン説明会を開催いたしております。説明会は、カメラもマイクもOFFでお気軽にご参加いただけます。プログラムの概要や参加条件、出発月ごとの定員状況や費用、そして最新キャンペーンなどもご案内しています。ご興味をお持ちの方はぜひご参加ください。