踏み出したら世界は広い!将来に繋がると感じた海外看護有給インターン留学

お名前土井 春奈さん留学期間2017年1月から2019年1月(予定)
滞在都市シドニー/オーストラリアインターン先ナーシングホーム

2017年1月に、海外看護有給インターン留学にてオーストラリアに出発。語学研修、ファームを経て、働き始めて4ヵ月目というタイミングで体験談をいただきました。留学前の葛藤や渡航後の語学研修での苦労。大変ながらも楽しんだファーム生活、そしてオーストラリアでの看護経験など、さまざまなお話をいただきました。

1 人生、時には冒険も大事!看護留学を決断した臨床3年目


英語を話すことや海外での生活、さまざまな国の人々との交流などには、小さいころから憧れがありました。高校生のときにはオーストラリア、ブリスベンでの短期留学も経験しましたし、大学進学の際には、英語や英文学を学ぶことのできる文学部に進むか、看護学部に進むか、迷ったほどです。

結局、大学進学時には、将来の就職や安定、また小さい頃からの夢だった看護師を目指すことに決めました。
しかし、大学進学後にも、留学や海外生活、看護師や助産師としての国際協力活動への参加が、頭の片隅にあり続けていました。大学が、日本赤十字看護大学だったこともあり、国際協力活動に関するお話を聞いたり、WHO(世界保健機関)を本部スイス ジュネーヴにて視察しに行ったり、海外に関する刺激を日々受けていたことも大きな理由だと思います。

実はこの頃から留学を調べ始めます。
留学の種類もさまざまですが、将来的には国際協力活動などへの参戦、海外で看護師として働くなど、看護師、助産師としてのキャリアを考えた際にワールドアベニューの海外看護有給インターン留学が魅力的に感じました。今思えばあの頃からほぼ留学することを決めていたのかもしれません(笑)。

大学では看護師、保健師、助産師の資格を習得しました。
希望は産科で助産師として働くことでした。しかし、残念ながら希望は通らず、NICUでの就職となりました。
日々のやりがいはありましたし、就職して最初の数年は目の前にある仕事のことで目いっぱいでした。
ただ、仕事も2年目の終わりに近づいてきたころ、もともと希望していた産科へ異動するか、それとも思い切って退職して留学するのかで考えるようになりました。もちろん、異動希望を出したとして、必ずしも異動できる確約・保証はありません。

ただ、公立病院に勤めていたため、収入面や福利厚生なども安定しており、転職はもちろん、退職して留学するなどという冒険者は周囲になかなかいませんでした(笑)。両親も「せっかく安定した生活を送っているのに……」と、やや心配気味。

私自身も、最終決断となると、このまま産科に異動できるタイミングを待ちながら看護師を続けるのか、思い切って退職するのか……。結婚や出産など、プライベートな人生プランも踏まえ、グッと悩みました。

ただ、希望が通り、産科に異動して助産師として臨床を積み始めたら、それこそしばらくは留学できません。そう思うと、NICUで臨床を積み、ちょうど3年経つその時期は、留学に踏み出す上で、とてもいいタイミングのように思えました。

人生一度っきりです。
2016年1月、ちょうど出発の1年前、思い切って契約しました。
両親には、事後報告(笑)。「もう契約したから!」と言い切って一歩を踏み出しました。

2 最初は半信半疑…(笑)JET English Collegeでの英語学習


決断するまではいろいろと悩んだものの、決断してしまえば、大きな不安はなく(笑)担当の留学カウンセラーさんには、「不安がないのが不安です(笑)」とお話していたくらいです。

1年間、留学貯金にラストスパートをかけ、海外看護有給インターン留学参加に必要な書類作りに奮闘。あっという間に出発の日を迎えました。

オーストラリア シドニーに到着すると、まずは語学研修からスタートしました。
カランメソッドという特殊な英語学習方法を導入するJET English Collegeで約3ヵ月間、みっちりと英語を学びました。カランメソッドでは、「赤ちゃんが言葉を学ぶ方法と同じ方法で学んでいく」ということで、とにかく英語を聞いて繰り返す、英語の筋トレのような授業が行われました。

1日の流れは、1レッスン45分間×6セット。(これにプラス医療英語コースを受講していました(笑))
想像してみてください。1日、45分×6セット、筋トレならぬ英トレです(笑)。

典型的な日本人だった私は、読み書きや文法は比較的できたものの、リスニング、スピーキングとなると、急に身構えてしまうところがありました。カランメソッドでも「内容を理解できなくてもいい。まずは聞き取って繰り返して!」と言われるものの、ネイティブスピードでのリスニングとその学習方法に慣れるまで2~3週間かかりました。教科書を見れば、学ぶ内容自体は極端に難しい内容ではありません。しかし、実際にネイティブスピーカーがネイティブスピーカー同士で話すときのスピードで話すものだから、耳が慣れるまではまったく聞き取れません(笑)。日本では(当然ですが)これほどまでに英語を聞くこともなかったため、一時期、集中力が切れ、授業中の英語がBGM化していたこともありました(笑)。

ただ、徹底した発音矯正や、ネイティブスピードでのレッスンのおかげで、その後のファームやアシスタントナースとしての仕事でも、スピードの速い英語に臆することはなくなりましたし、苦手だった‘R’や‘L’の発音も今は意識してきちんと発音できるようになりました。

ただ、年の‘Year’と耳の‘ear’の発音の違いは未だに分かりません(笑)。

課題がモリモリ!Certificate 3

JET English Collegeでの語学研修終了後、Certificate3(オーストラリアでアシスタントナースとして働くために必要な資格)のコースに進みました。

Certificate3のコースでは、コースが始まる前に、「あなたたちは日本で正看護師として働いていたのだから、すでに知っている内容が中心なので、大丈夫」と言われました。しかし、一般英語を学ぶJET English Collegeでのカランメソッドと、アシスタントナースとして働くために必要な資格を取得するためのCertificateとでは、用いられる単語も表現も専門的になり、且つ、溢れんばかりの日々の課題に最初は立ち眩みしました。

ただ、少しずつ慣れていくと、確かに知識があるからこそ、単語を100%理解できなくても、全体的に何を言いたいのか、何を学ぶべきなのか、把握しながら授業を受けることができました。特に私の場合、語学研修期間中、医療英語を並行して受講していたため、その際に学んだ単語(臓器の名前や器具の名前など)や表現なども、とても有効だったと思います。一緒に看護留学で渡航している友達とも助け合いながら、無事Certificateを修了することができました。

3 セカンドワーホリにチャレンジ!せっかく踏み出した一歩だから全力でやりつくしたい!


オーストラリアにはセカンドワーキングホリデー制度と呼ばれ、オーストラリア政府が指定する場所で88日間以上の季節労働をこなし、それを証明することで、もう2年目のワーキングホリデービザを申請、合計2年間、オーストラリアに滞在することができます。

公立病院勤務という「安定」を捨てての留学です。
踏み出したからには後悔のないよう、「やれることはやり切りたい!!」という思いから、2年間の滞在を決めていました。

そこで、Certificateが終わった後、ファームへ移動。セカンドワーキングホリデービザ取得にむけて準備をし始めました。

最初に訪れたのはクイーンズランド州ブリスベンから50キロほど北にあるカブーチャ(Caboolture)のいちごファームです。

ただ、これがいろいろ大変でした。というのも、カブーチャの駅に到着後、韓国人オーナーに出迎えてもらい、滞在先に連れて行ってもらったのですが、そこには簡易的なキッチンとベッドルームがあるプレハブが……。
とても生活できるような環境ではありません。

「さすがにこれはちょっと……」という風貌の生活環境に強いショックを受けました。

途方にくれるとはこのことを言うのだと感じた瞬間だったのですが、他に行くあてもありません。しかたなく、一緒に到着した友人と共に、ひとまずは近くのスーパーに買い出しにいきました。

すると、事件は起こります(笑)。

スーパーで買い物をしている私たちに、おじさんが「ファームを探しているの?」と話かけてくれました。
きっと、そうとう先行き不安そうな顔をしていたのでしょう。

新手のナンパかとビクビクしながらも、ファームを探している旨伝えると、近隣のファームに知り合いが多く、「ファーム先を紹介するよ」「住むところに困っているならリーズナブルに貸し出しするよ」と言ってくれました。見知らぬ土地で出会ったばかりのオーストラリア人のおじさんをどこまで信用していいものか…… ものすごい不安でしたが、友人と2人だったこと、紹介された滞在先があまりにもひどかったことなどから、おじさんを信じて移動することを決意。その日に移動しました(笑)。

結果、その方は、とてもよくしてくださいました。
聞けば、近隣のファームと親交が深く、オーストラリア人の方が経営するファームを紹介しているといいます。家賃も交通費込みで週100ドル。田舎とはいうものの、物価の高いオーストラリアでは破格の家賃でした。ご紹介いただいたファームはストロベリーファームで、時給は23ドル(日本円で2,000円程度)。好条件だったため、ひとまずはそこで働きました。

ただ、とても好条件だったのですが、就労日数が週に4回と限られており、セカンドワーキングホリデービザ申請に必要な88日間の就労日数を稼ぐには、かなり時間を要してしまう状況でした。そこで、1ヵ月程度、おじさんにご紹介いただいたストロベリーファームで働いた後、友人の紹介をうけ、ビクトリア州北西部のミルデューラ(Mildura)に移動しました。(メルボルンから6時間ほど内陸に進んだところです)

ミルデューラでは、アスパラガスを中心にシトラスやぶどうのピッキングなどを行ました。

アスパラガスってどういうふうに生って、どういうふうに収穫するか、ご存知ですか?(笑)
私は全然知りませんでした。

アスパラガスは一本いっぽん、土から生えているのですが、それを小さな鍬のような器具で収穫していきます。内陸部にあるミルデューラは日中、ものすごく日差しが強く、脱水症状を起こすこともあったほどです。日によっては、あまりの暑さから夜の10時から朝の10時まで、夜勤体制で収穫を行ったこともあります。看護以外の仕事でまさか夜勤をやるとは思いませんでした(笑)。
重労働ではあったものの、もともと体育会系なところがあるからか、座りっぱなしのストロベリーパッキングより、アスパラガス収穫の方が楽しく、また、アコモデーションの仲間との生活もとても楽しく、気が付けば、セカンドワーキングホリデービザ申請に必要な就労日数88日を超え、100日ほど働いていました。

4 オーストラリアで働いていて嬉しい、楽しいと感じたこと。


ファームジョブを終え、セカンドワーキングホリデービザを申請。
幸いトラブルなくスムーズにビザを取得することができました。

ビザ取得後、学校の英語力試験を受験。ぎりぎり合格!ということで、晴れてアシスタントナースの仕事をご紹介いただきました。

仕事を始めたタイミングが12月で、求人数が少ない時期だったため、他のアルバイトなどと並行した方がいいかも……とお話をいただきました。念のためファーム前に働いていた日本食レストランに戻り、掛け持ちできる状態はつくり、仕事をスタート。ただ、幸いにも家の近くにあるホステルでプライベートケアラーとしてほぼ毎日シフトをもらうことができたため、掛け持ちはほぼほぼしなくても問題ない状態で働くことができました。
時給も平均28ドル(2,500円)程度、ダブルシフト(1日に2回シフトに入ること)や夜勤などもあり、働き始めて4ヵ月目、すごい勢いでお金が貯まっていっています!(笑)

最高!オーストラリアでの留学生活

実際に、アシスタントナースとしてオーストラリアで働いていて嬉しい、楽しいと感じたことはいろいろあります。

例えば、レジデント(利用者)から「今日は春奈が来てくれて嬉しいわ」「私はあなたにケアしてもらいたい」など、とっても嬉しい言葉をたくさんいただきます。シンプルなケアでも‘Thank you my darling.’ ‘You are so beautiful.’ ‘You did good job.’など、感謝してもらえます。
また、一緒に働くスタッフの方々からも「次はいつくるの?」「あなたは私たちと一緒に働くべきよ!」「あなたは本当にいいスタッフだわ」と言ってもらうことができ、日々働いていてとても嬉しく、とてもやりがいを感じています。

オーストラリアに暮らす人々はさまざまなバックグランドを持つ方が多く、もともとの価値観や考え方、言語、宗教、文化などが異なるからこそ、「表現」することの重要性を非常に強く感じているし、実践していると感じます。それらは、家族や恋人に対してはもちろんのこと、働き手に対しても同様なのだと思います。

もちろん感じることは、嬉しいことばかりでなく、英語力に対するハングリーな気持ち、多文化・異文化のなかで感じる視野や世界観、価値観の広がりなど、さまざまです。

例えば、英語力に対するハングリーな気持ちについて…

英語でのコミュニケーションが故に、レジデントが訴えていることを100%理解できなかったり、自分が思っていることを上手く伝えられなかったりすることで、悔しかったり、もどかしかったり…… 「自分の英語力はまだまだなんだな」と痛感し、「もっと頑張らなくては」と感じることがあります。また、オーストラリアはとても多国籍な国で、職場にはオーストラリア人だけでなく、ネパールやインド、チャイナ系の方などさまざまなバックグランドを持つ方がいます。それぞれの国の方々が持つ独特なアクセントに慣れることも大変だったと同時に、「私も英語の発音、気をつけなきゃ」と思う部分もあります。

多文化・異文化のなかで感じる視野や世界観、価値観の広がりについて…

日本人は、概して特定の宗教を信仰しない、または信仰そのものを持たないという思想・立場の方がほとんどだと思います。しかし、オーストラリアに限らず海外では、信仰する宗教や神、思想があるという方が多くいらっしゃいます。日本では特に配慮することのなかった「文化」や「宗教」というものが、多民族国家のオーストラリアでは、日々のケアをする上で、非常に重要な、留意すべき点となると気が付きました。

他にも、日本以外の国から見た歴史、世界中で起こる出来事に対する事柄を多角的な視野で理解することの大切さを感じることもあります。例えば戦争の話について…… やはり自国での社会や歴史で学ぶ戦争の話は、どこか一方通行だったように思います。戦争だったとは言え、日本という国が諸外国に対してどのような行動をとってきたのか、どのように戦ったのか、客観的に見つめる貴重な機会になりました。
もちろん、「日本」や「日本人」が直接的に関係していない出来事についても、同様です。例えば、第二次世界大戦でのナチス・ドイツが迫害したユダヤ系の人々の話。どこか遠い異国の話で自分には関係のないことだったけれど、オーストラリアという移民の多い国で働き生活すると、ケアする人々にはナチスに迫害され、国を追われた過去を持つ人々もいらっしゃいます。ナチスが行った迫害の歴史は私にとって他人事ではなくなった瞬間でした。

日々、アシスタントナースとして働く経験を通じて、少子高齢化、日本企業の海外進出など、さまざまなファクトが示すグローバルマインドの重要性、必要性を実際に強く感じることができていると思います。そしてこれらは、将来、もし私が国際協力活動などに参戦するとしたら、とても大切な考え方や価値観、糧になると感じています。

私のセカンドワーキングホリデーは始まったばかり。今まさに折り返し地点でもあり、これからの1年がまさに本番と思って、もっともっとさまざまな経験をしていきたいと思います。

5 これから参加する人へのメッセージ


私は、NICUでの臨床3年をもって、この海外看護有給インターン留学に踏み出しました。
今、オーストラリアで携わっている高齢者ケアや介護には携わったことがありません。でも、語学の研修もアシスタントナースとして働くための資格取得の勉強や実習もあるので、なんとかなります。

今、私はシドニーの東にあるとても美しいボンダイビーチと呼ばれるビーチの近くにブラジル人とオーストラリア人のシェアメイトと共に生活しています。英語はまだまだですが、それでも英語がBGMにしか聞こえなかった語学研修時代が嘘のように成長を感じます。

オーストラリアでの生活は、大変なこと躓くことも多々ありますが、日本よりも仕事とプライベート、メリハリをつけノビノビ、自分らしく生活できているようにも感じます。実際、とても楽しいです。

日本にいるとキャリアや結婚に対する心配があると思います。
ただ「行きたい!」と思った時がタイミングです!!

私もキャリアや女性として結婚、出産のタイミングを逃してしまうかもしれないと不安ではありました。
しかし、沢山のことを経験できてる今、この決断を後悔したことはありません!

むしろ、留学に踏み出してよかったと思えるし、日本では絶対経験できない人との出会い、異文化交流や海外の医療現場を知れたりと得られたりするものは、本当に大きいと思います。

看護師として現場を離れることは結構な大きな決断にはなると思いますが、時には勢いも大切だと思います!
ぜひ、勇気を出して、一歩踏み出してみてください!