お名前 | 難波ヨリ子様 | 留学期間 | 2023年5月 - 2024年5月 | ||
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滞在都市 | シドニー/オーストラリア | インターン先 | ナーシングホーム |
ヨリ子さんの留学スケジュール
オーストラリアのワーキングホリデー制度を利用した「海外看護有給インターンシップ」に挑戦されたヨリ子さんから体験談をいただきました。留学中は、アシスタントナースとして働く傍ら、オーストラリア生活を堪能し、英語に加えスペイン語にも挑戦されたとか!!様々な経験と出会いにあふれたヨリ子さんの1年間を覗いてみましょう!
ヨリ子さんの留学概要
渡航国:オーストラリア
渡航都市:シドニー
留学プログラム:海外看護有給インターンシップ
渡航期間:2023年5月 – 2024年5月
インターンシップ先:ナーシングホーム
お問い合わせから帰国までの流れ
2.留学のきっかけ
フィリピンで生まれ、日本語に加えタガログ語が話せたこともあり、異文化や他言語、海外での生活や就労には以前から興味がありました。特に興味を持っていたのはアメリカでの看護師資格取得、そして就労です。アメリカでは医療者の人手不足が深刻で、看護師であれば就職のチャンスもある.. という話を聞いたことがありました。また、アメリカでの看護師の待遇の良さ、医療職者同士の連携や権限、尊重されている職場環境、幅広いキャリアアップに興味を持ち、いつか挑戦してみたいと考えていました。
とは言え、高校、大学、国家試験を合格し就職、看護師として順調にキャリアを積むなか、海外に踏み出すタイミングはつかめずにいました。多忙な日々に翻弄され、多少苦しいことがあったとしても、必死に積み上げてきた大切なキャリアをそう簡単に無碍にはできなかったというのも理由の一つです。
また、自身の英語力に関しても、学校で得た知識は社会人のうちに消えていき、英語を使用しない環境では自発的に学習することも後回しでほぼ英語力がないと自覚していたため、言語の壁に対して大きく一歩を踏み出せないでいました。
海外に挑戦したい.. でも、今のキャリアをリセットするのは..、英語力がない状態で本当にその道に進めるのかと葛藤が続いていたある日、インターネットで留学について検索していると目に止まったのが、ワールドアベニューの「海外看護有給インターンシップ」でした。このプログラムであれば、看護師の資格や経験を活かすことができ、お金も稼ぐことができます。また、海外の医療や看護・介護の現場で働くことで、もともと興味のあったアメリカでの看護師資格取得や就労への足がかりになるようにも思いました。
ワーキングホリデー制度を利用する海外看護有給インターンシップ・プログラムは、ビザの年齢制限のこともあり、葛藤する私の背中を押してくれました。
3.コーチングは心の支えに?! 出発までの準備
2021年末に初めて問い合わせし相談しました。私は、2023年5-6月の出発を希望していたのですが、当時はまだ募集が開始されていなかったため(プログラムは出発月と定員枠が設定されています)、しばらくは貯金に勤しむことにしました。その約半年後、2022年6月、2023年5月出発枠に申込みをしました。
看護インターンシップのプログラムの参加条件には英語力の下限が設定されていません。理由は、渡航前から英語学習が組み込まれているからです。申し込み後、出発までの間にオンラインで英語を学び一定のレベルまで英語を伸ばすことができるように設計されているのです。
出発前オンライン英語+コーチングの内容は、週1回のオンライン英語レッスンに、いつでも見れる医療英語の動画講座、そして全体的な学習スケジュールやタスク管理をサポートしてくれるコーチングという感じです。
ただ、週に1度.. とはいうものの、フルタイムで働きながらの英語学習は決して簡単なものではありません。お恥ずかしながら、そこまでまめな性格的ではないこともあり、隙間時間を利用しての医療英語講座の視聴やスマホアプリでの勉強も、思い通り進捗させられない日々が続くこともありました。
「こんなんで大丈夫かな.. 」と若干落ち込むこともありましたが、そんなとき支えになってくれたのがコーチングでした。最初は、英語学習を進捗されられていない状況から、コーチングでは怒られるのでは.. (汗) とヒヤヒヤしていました。しかし、実際には、できなかったことではなく、できたことに対して肯定的なコメントをくれたり、より前向きに取り組むために建設的な提案をしてくれたりしました。授業のフィードバックを踏まえ、現状のレベルや成長を把握することもでき、日々の勉強の支えになってくれたように感じています。
4.仕事もプライベートも充実!オーストラリア生活
忙しい日々の傍ら、オーストラリアで働くために必要な書類の準備や学校への出願、航空券購入、保険加入、滞在手配などを進め、気がつけば出発日を迎えました。
余談ですが、私の出発日は大雨でした。地元の広島から空港までの2時間、新幹線とタクシーとを乗り継ぎ、大きなスーツケースを抱えびしょびしょになりながら日本を発ちました。そのせいか、オーストラリアに到着後、広がる青空を目の前にした時は、ものすごく感動したことを覚えています(笑)
ホームステイからシェアハウスへ.. 気がつけばハウスマネージャーに昇格!?
「ホームステイは『ガチャ』だから..」とどこかで聞いたことがあり、不安もありましたが、幸いなことに大きな問題はなく、ホームステイメイトの中国人の子とも拙い英語で互いにコミュニケーションを取りながらあっという間に1ヶ月が経過していました。
その後はシェアハウスへ移動しました。留学生やワーホリメーカーの増加からか「シェアハウスが見つかりにくい」と聞いていたため、家探しは早めはやめに始めました。最終的には3件ほど内見、最初に見に行ったお家で契約を進めました。アンティークさが漂うヨーロッパ風のお家はとても可愛く、家賃は週220ドル、3人部屋で、バスルーム・バルコニーつき!若干治安が悪いと言われるキングスクロスに近かったこととキッチンが少し汚かったことを除けば、個人的には大好きなお家でした。
汚いキッチンを日課の如く掃除していると、段々とハウスマネージャーから頼りにされる存在になっていきました。プライベートな相談を持ちかけられることもあれば、一緒にハウスパーティーをひらくこともありました。そんなある日、ハウスマネージャーが引っ越しをすることに.. 「次のマネージャーは誰なんだろう?」と呑気に考えていると、ハウスマネージャーとオーナーから「マネージャーにならないか?」とオファーをいただきました。最初は断りましたが、二人の熱意に押され、「何事も経験!」と引き受けることにしました。大変なこともありましたが、振り返ってみるととてもいい経験です。
ちなみに、アルバイトもシェアハウス探しと並行して進行させました。募集では現地のバイト検索サイトの”jora”(ジョラ:日本でいうタウンワークみたいなもの)と”JAMS”をメインで探しましたが、なかなか理想の条件と英語力が低い状態で行えそうな所は見つかりませんでした。しかし、シェアハウスが決まり、周辺を探索すると外観や内装が素敵な日本レストランを発見。気になり友人と食べに行き、スタッフの雰囲気、料理のおいしさに感動!早速Instagramにて検索、アカウントを発見してDM。期待はしていませんでしたが、数日でDMに返信が..!その後、インタビューの運びとなり、自分の英語力は正直に話、ここで働きたい熱意を伝えて見事初採用が決定!シェアハウスとアルバイトが無事に決定しました。
オーストラリアで働いてみての感想
語学学校での英語学習、Certificateでの資格取得を経て、2023年10月頃、アシスタントナースとして働き始めました。秋から冬に向かうこの時期、アシスタントナースの仕事は減少傾向にあると聞いていたため、最初はレストランでのアルバイトも並行して行っていました。実際、仕事を始めた10月から年末にかけてのシフトは週2-3回、多くて4回という感じでした。年明け1月からはぐっと仕事量が増え、朝の呼び出しに加え、午前中に午後シフトの依頼、仕事帰りにも急に呼び戻されることもあり、全部に応じていたら週60時間、多い時には70時間働いたこともありました。仕事の合間にしっかり遊びも取り入れつつ、最終的に月収100万円、貯金250万達成できた際にはかなりの達成感があったことを覚えています(笑)
オーストラリアで働いてみて「いいな」と感じた点は、医療・看護・介護材料費をしっかりとかけている点です。例えば、シャワーの際に、拭き取るだけでいい石鹸(ものすごくいい香り!)が使用されていたり、ベッドはほとんどが褥瘡予防マットレスを使用したベット(厚めの褥瘡予防に特化したマットレス)だったり、また、患者さんや利用者さんの移動・移乗時には介護・介助者側の負担を軽減すべくリフター(移動用リフトなど)を徹底して利用したりしていました。日本と比べると「丁寧さ」には欠けるものの、決して患者さんや利用者さんのQOLは低くなく、「考え方」の違いを感じました。
仕事について、実技的なことは日本での看護師としての経験も応用しつつ、比較的スムーズに慣れることができたと思います。もちろん、コミュニケーション面では苦労することもありました。一緒に働くメンバーにはアジア諸国出身の方がも多く、国によって英語のアクセントも様々で、慣れるまでは苦労しましたし、国民性の違いに翻弄されることもありました。ただ、ネパールとフィリピン出身のスタッフが多い職場では、私のアイデンティティの一つでもあるタガログ語が大活躍!英語に加え、タガログ語でコミュニケーションを取ることで、職場にも円滑に溶け込むことができました。「言葉」が友好関係、ひいては自分の世界を広げてくれることを実感した瞬間でした。
プライベートも充実!
先述したように後半は仕事で多忙な日々を送っていましたが、同時に「遊ぶ」こともしっかり楽しみました。シェアメイトの子が「スカイダイビングに行きたい!」と言うので、一緒に挑戦したり、70箇所以上あると言われるシドニーのビーチ各所を訪れ友達とBBQを楽しんだり、シドニーの冬を彩る光と音の祭典ビビッド・シドニーや盛大なニューイヤー花火、オーストラリア世界最大級のLGBTイベント「マルディグラ」を堪能したり、たった1年の滞在とは思えないほど様々なイベントやシドニーの街を堪能し、充実した日々を過ごしました。
せっかくなので国際恋愛にも挑戦してみよう!と、いろんな国の人とデートを楽しんだり、英語で盛大に喧嘩をしてみたり、時折ちょっと(いや.. かなり?)ドラッグやアルコールに依存しているクレイジーな人との出会いがあり恐怖してみたり.. 本当にオーストラリアに来ている今だからこその時間を楽しみました。
5.帰国・既成概念にとらわれない生き方
実は今回の留学のなかで、スペイン語を母語とする人たちと交流を持つ機会も多くありました。私のもう一つの母国であるフィリピンはイスラムをはじめ、スペインやアメリカの影響を強く受けており、それぞれを象徴する建築物や食べ物など、複数の文化や伝統、宗教が混在している国です。私にとってスペイン語はとても耳馴染みがよく、簡単な挨拶や受け答えから始まり、少しずつスペイン語を使う時間を楽しむようになっていきました。
日本語、タガログ語、英語、スペイン語.. ツールが増えることで世界が広がり、それと同時に自分のなかに知らず知らずのうちにあった既成概念、「自分はこうあるべき」「〜しなければいけない」と言う考え方に変化がありました。例えば、留学前、アメリカでの看護師資格取得を念頭に置いていた私ですが、オーストラリアでの経験を経て、今は「看護師」にこだわらないキャリアもあると感じるようになりました。そう考えると、実は本当にいろんな選択肢があります。
今後のことは模索中ですが、今は「日本と世界を繋げる仕事」に興味があります。興味関心のあることに挑戦しつつ、自分が本当に大切にしたいものは何か、見つけていきたいと考えています。
最初は日本という国にとどまり、海外は想像とテレビや人から聞いた違う世界でしたが、思い切って日本を飛び出した経験から、日本も海外も違う国だけど一つの世界であるということを実感し、また触れ合ったことで様々な刺激や自分の新しい未来への一歩となった大きな経験でした。
6.さいごに
体験談を最後まで読んでいただきありがとうございました。ヨリ子さんのアシスタントナース有給インターンシップ体験談はいかがでしたでしょうか。
体験談インタビューの最後に「今留学を迷っている方にメッセージを送るとしたら?」と伺うと、「人生の選択肢を広げるためにも、ぜひ、挑戦したいことがあるなら恐れずに、自分の背中を押してあげてほしい.. !経験があるかないかで、その後の人生大きく変わってくるはず!」とお話ししてくださいました。この体験談が、読んでくださった皆さんの背中を押せるものになることを願っています。
さて、アシスタントナース有給インターンシップはオーストラリアのワーキングホリデー制度を利用した看護師限定の留学プログラムです。勉強も仕事も旅行も、自由にアレンジできるからこそ、皆さん次第でどんな経験にも挑戦いただけます。
ご興味をお持ちの方は、定期開催中のオンライン説明会にぜひご参加ください。オンライン説明会は、カメラもマイクもOFFでお気軽にご参加いただけます。プログラムの概要や参加条件、出発月ごとの定員状況や費用、そして最新キャンペーンなどもご案内しています。
皆様からのお問い合わせを心よりお待ちしています。