看護留学でのさまざまな経験が私を強くしてくれた!

お名前松田 侑花子さん留学期間2015年7月-2017年7月
滞在都市シドニー/オーストラリアインターン先ナーシングホーム

オーストラリア生活も残すところ1ヵ月ちょっと。「帰りたくない!」というお話しからスタートした侑花子さんの体験談インタビュー。きっかけになったオーストラリアでの短期留学のお話しから、まさかのバッパー生活、異文化のなかでの葛藤、楽しかった2年間の留学エピソードをたくさん、お話しくださいました。

1 オーストラリアで暮らしたい!と思ったことがきっかけだった


留学しようと思ったきっかけは、小学校のころから習っていた英会話と、中高生時代に踏み出した短期留学でした。小学校から学んできた英会話でネイティブの先生たちと英語で会話することが楽しかったです。それで学生時代からちょこちょこ短期間ですが留学させてもらいました。旅行も併せると、カナダ、オーストラリア、アメリカ、ハワイなどに行きました。どこも素敵だったし楽しかったけど、「暮らしてみたい」と思ったのは、オーストラリアでした。

オーストラリア、シドニーでの短期留学が、初海外・初留学だったのですが、その時に出会ったホストファミリーの方がとても素敵な方だったんです。ホストファミリーの方は当時60代の女性の方だったのですが、私が学校から帰ってくると、ご飯を作りながらフラフラしているんです。「なんか様子がおかしいな」と思ってみてみると、鼻がものすごい腫れあがって鼻血が出ているんです。当時幼かった私は、年齢的にも英語力的にもどうすることもできずに、もはやパニックで泣いてしまいました。
その方は、自分の鼻の方が一大事なのにも関わらず、私のことを心配して、「家族に電話してもいいよ?」とか「エージェントに電話してもいいよ?」と言ってくれるんです。日本の家族に電話したところでどうにもならないので、エージェントに連絡したところ、家に来てくれて、ホストの方の状況を見て、救急車を呼んでくれました。
ただ、ホストは、私が「家で一人になってしまう」と心配して、救急車に乗ってくれないんです。おそらく鼻は骨折していて腫れて、熱もあったはずなのに…。

結果、ホストの方の娘さんがご近所に暮らしていらっしゃるということで、その方のお宅でお世話になることになり、元のホストの方とはそれきりでした。ただ、その時のことを申し訳ないと思っていてくれたらしく、日本に帰ってきたあと、私宛に手紙が届いたんです。それ以降、未だにお手紙のやり取りをさせていただいています。

その時の経験で、オーストラリア、すごくいい!!オーストラリア人、すっごくやさしい!!と好印象があって、留学するならオーストラリア!と決めていました。

看護師になって、臨床は3年間積もうと思っていたのですが、思いのほか辛く、このままだと看護師の仕事を嫌いになってしまいそう…と思い、思い切って2年と3~4ヵ月間の臨床で日本を飛び出しました。

留学のことは何度もなんどもインターネットで調べてて…、アシスタントナース有給インターンシップは、ワールドアベニューのホームページとかでも見ていました。臨床1年目の終わりくらいのタイミングでワールドアベニューに問合せ、最初の電話で即決しちゃいました(笑)

出発するまでの1年半くらいの時間、不安や心配もなかったと言えばうそになりますが、「楽しみ」の方が大きかったです。師長さんにも、かなり早いタイミングで、海外の医療の現場で働いてみたいこと、そのために留学しようと考えていることは伝え、時期的にも退職まで余裕があったからか、大きな反対もなく、応援してくれました。海外有給インターンシップ参加必要書類も、時々、収集や準備が大変だったという方がいらっしゃいますが、病院側も協力的で困ることもありませんでした。

両親も、以前からずっと海外には行きたいと伝えていたので、寂しさは感じていたようですが、応援してくれました。

2 一気に走り抜けた語学研修からファームステイ


2015年7月、ついに念願の留学がスタートしました。
最初は、英語の勉強から。その後、オーストラリアで看護助手として働くために必要な資格を取得するためのコース「Certificate」、その後、一瞬の迷いはあったものの、ファームへ出てセカンドワーキングホリデービザを取得しました。

語学研修

もともと英語は好きだったこともあり、レベル4からスタートしました。カランメソッドでは先生が話すさまざまなセンテンスを、正しいイントネーション、発音、文法で繰り返すため、ただ聞くだけの授業よりも英語が頭に残りました。実際の生活で利用する表現も多かったため、楽しかったです。

Certificate

大変は大変でしたが、日本での勉強、実習の方が大変でした(笑)
学ぶ内容も、細かいことを言えば異なることも多々ありますが、大きな違いはありません。ただし、すべて英語なので、その点が「大変」なのだと思います。

ファーム

私は出身がとても田舎なので、シドニーの都会感にちょっと疲れてしまったこともあり、実は、セカンドワーホリを取得せず、ちょっと働いて日本に帰ることも一瞬考えました。ただ、シェアメイトや、ワールドアベニューの仲間たちが、「オーストラリアは大きな国でいろんな側面があるし世界がある。もったいないよー」と、いろんな写真や旅行した時の思い出話を聞かせてくれて、「うん!やっぱり2年間いよう!」と決断しました。

結果、2年間滞在して本当によかったと思っています。

ファームは、クイーンズランド州にあるストロベリーファームでした。私が働いた時期は、実のなる時期ではなかったので、残念ながらイチゴは食べずに帰ってきましたが(笑)、イチゴにサラダにキュウリ、さまざまな作物の苗植えをしたり、土を耕したり、基礎作り中心に働きました。

炎天下での草むしりなどの農作業は本当に大変でしたが、繁忙期でなかったこともあり、日々オーストラリアの大自然を堪能しながらファーム生活を楽しみました。それにオーナーのご家族がとても素敵な方々で、タイ人のご夫妻がいらっしゃったのですが、毎日本格的なタイ料理が食べられて、本当に幸せでした。ちょっと食べすぎて太ってしまったくらいです(笑)。

88日間の就労を終え、無事にセカンドワーキングホリデービザを取得。
シドニーに戻りました。

やはり田舎好きだ!という自覚から、ワールドアベニューのスタッフさんに、「(看護助手の仕事は)田舎に飛ばしてください!」とお願いしました(笑)

3 お仕事開始!で、まさかのバッパー生活!


田舎に!!とお願いしたところ、ハンターバレー*での仕事をご紹介いただきました。

ハンターバレー:
シドニーから上のほうに車で3時間程度いったニューカッスル近郊にあり、150以上のワイナリーが点在すると言われるオーストラリアで最も長い歴史を誇るワイン産地です。高級料理を楽しむことができると共にギャラリー、ヘルス・スパ施設、ゴルフ・コースなどがあることでも有名です。

通常の場合、派遣会社を介した派遣スタッフなので、いろんな施設や病院に派遣されます。
ただ私が紹介してもらったところは、派遣会社は通しているものの、1つのナーシングホームでの専属でした。仕事はオンコールなのですが、週6ペースでお仕事にも入っていたので準社員のような感じでした。

同じワールドアベニューのお客さんで同じ施設で働くことになった方が3人いたのですが、内1人とバッパーで生活し始めました。田舎過ぎて、シドニーのシティのようにシェア先がないんです(笑)人も少ないからか、家の契約も最短半年からなどが多く、探したものの、もはやその時点で、今後の生活も「バッパーでいいか」という結論にいたりました(笑)

家賃は週154ドルでネット代や光熱費は込々(月55,000円程度)。
週末は旅行者がちょこちょこ泊まりに来るけど、そこまでゴミゴミした感じにもならず、住み着いている男性の方が何名かいて、少し怖いな…とも思いましたが、1人ではなかったので、気にせず普通に生活していました(笑)

ちょっと歩きますが近隣にはスーパーもあったし、オーナーが住み込みだったので水回りはオーナーが掃除もしてくれていて(そんなにきれいではありませんでしたが(笑))、十分生活はできました。今思えばだいぶたくましい考え方になっていたんだと思います。

仕事は朝と昼を中心にもらっていて、時給は、都心と比較すると少し安いのですが、それでも、かなり働いていたこともあり、手取り週1,000ドル平均。週1,000ドルを切ると「あれ?今週あんまり働かなかったなぁ」と思うくらいでした(笑)日本円にすると月で手取り36万円程度。家賃(光熱費、ネット代など込々)が55,000円程度で、田舎暮らし(使わない)なので、気が付くとお金は貯まっていました。

1つ目の派遣会社での仕事が終わったのち、2ヶ月間程度がっつりお休みを取り、日本・タスマニア・メルボルン・フィジーを旅行し、フィジーでは年越しを体験し、シドニーに戻りました。貯めたお金は、2ヵ月間のバカンスでぜーんぶ使ってしまいました(笑)

4 オーストラリアで働いて感じたこと。


シドニーに戻ったのち、ワールドアベニューのスタッフさんからもう一つの派遣会社をご紹介いただき、働き始めました。2つ目の派遣会社はシドニーから北の方に少し離れた位置にある施設を中心に派遣している会社で、普段は美しいビーチを眺めながらのんびりとでき、週末はシドニーのシティで楽しむことができるちょうどよい環境です。

ハンターバレーで働いていたときは、利用者さんもスタッフも95%がオーストラリア人。田舎のオーストラリアなので、イギリス文化が色濃く残っていて、ティータイムを物凄く大切にしていました。利用者さんもティーにいれる「砂糖の色(ブラウンかホワイトか)」にめちゃくちゃ拘りを持っている人なんかもいて、驚きました。(笑)

面白いな、と感じたのは、スタッフと利用者の関係です。
お互いに尊重し合うことをとても大切にしていて、日本だと患者さんや利用者さんは「お客様」なのですが、オーストラリアでは、「対等」な関係なんです。だから、スタッフは召使でもなんでもない!横暴な態度や口調で接してはいけない!という考え方があり、トイレ介助の途中でも、利用者さんが横暴な態度や口調でスタッフに接すると「そんな言い方するなら助けない」と、放置してどこかへ行ってしまうこともあります。もちろんしばらくすると戻ってきます(笑)
日本では考えられないことですが、ある意味一つの考え方だなと思いました。
ただ、お互いを尊重するということから、距離感もとても近くて、夜寝るときにスタッフと利用者さんが「おやすみ」とハグをしていたり、感謝を表すときに「ありがとう、ダーリン」とキスをしたりします。見ていて触れていてとても温かい気持ちになりました。

シティは田舎と違い、よりさまざまな国の人々が集い生活しているため、スタッフも利用者も人種や国籍が異なります。田舎と比べるとやや距離感はあるものの、やはり基本的にみんなフレンドリーで温かく、面白いことが大好きなので、日本とは違うな…と感じています。


以前の職場で仕事をし始めたとき、最初の1ヵ月間はとても大変でした。
特に95%オーストラリア人ともなると、オージーイングリッシュ炸裂で、当初は本当に苦労しました。オーストラリアの特に温かい田舎の地域では昔からハエが多く、口を比較的閉じ気味で喋る方が多いんです。すると、音を聞き取ることに一苦労。もちろん、オーストラリア英語と言っても、文法や単語が異なるわけではありません。しかし、オーストラリアでは当たり前の商品名がわからなかったり、オーストラリア流省略語(バーベキューをバービーと言ったり、ブレックファーストがブレッキーだったり)をバンバンに使われたり、わからないというか知らないことも多く、本当に振り回されました(笑)

ただ、日本の文化の中で培われた、「仕事は見つけてでもやれ」という感覚が生きていて、わからないからと言って、ぼーとはしません。ゴミ出しでも、掃除でもできること、わかることはかたっぱしからなんでもやっていきました。私にできることはやる!やれることを一つずつ増やしていく!そんな風に働いていたらいつしか、周りも感謝してくれるようになっていました。1つの施設でずっと働いていたこともあり、利用者さんもスタッフさんも最後は顔見知りです。日本では働くことが嫌になりかけていた私だったけど、働くことが本当に楽しかったし、うれしいと感じられるようになりました。

今の職場は、他国の方も多いので、それぞれ出身国のアクセントがある英語を皆さん話します。
そういう意味では、田舎にいたときとはまた違った苦労があります(笑)ただ、オージーイングリッシュでの苦労も多国籍な英語での苦労も、おかげでさまざまな英語に対するリスニング力を身に付けられたように感じています。

今は平日中心に4シフトくらいのペースで、手取りが週700ドルから800ドル(月27万円程度)。田舎にいた時よりはやや少なめですが、十分に生活はできます。

臨床経験が短いことを心配される方が多いと聞きますが、全然大丈夫ですよ!

5これからと皆さんへのメッセージ

オーストラリア滞在、最後1ヵ月ちょっとは、すでに予定がいっぱいです。
大きな旅行などの予定はもう組んでいませんが、ちょっとしたイベントやアクティビティを楽しみながら、オーストラリアの自然を満喫したいと思っています。

私は、オーストラリアでのさまざま経験、出会いを経て、苦しいことも楽しいことも本当にたくさんあり、それらすべてが私を強く成長させてくれたと思います。

不安なこと、心配なこともあるとおもいますが、一緒に看護インターンシップに参加する仲間からもアドバイスをもらったり、お互いに愚痴りあったり、必要な時は助け合うことができます。

私は、オーストラリアに来て、本当に楽しかったです。
皆さんも、ぜひチャレンジしてみてくださいね!