オーストラリア最高!本当に来てよかった、念願の看護留学

お名前関谷 幸子 さん留学期間2016年1月-2018年1月
滞在都市シドニー/オーストラリアインターン先ナーシングホーム

留学前に抱えていた英語力や治安、海外での生活などへの不安は、もはや何も感じていません!オーストラリアは、本当に暮らしやすくて、初めての留学がオーストラリアで本当に、ほんとうによかった!!!と感じています。とお話ししてくださった幸子さん。高校卒業時からずーーーーーっとチャレンジしたいと思っていた留学に踏み出した幸子さんの体験談をインタビュー形式で紹介していきます。

1オペ室の手洗い場での運命的な出会い

カウンセラー: 留学したいと思ったきっかけは?

幸子さん: 実は、私、高校卒業後、留学するか、看護師になるために進学するか、迷ったんです。

カウンセラー: え!?高校卒業後すぐ、ですか?

幸子さん: はい。そうです(笑)
学生時代から英語が好きで、漠然としていたものの、海外生活に憧れもあって、ワーホリしてみたいと思っていたんです。
ただ、高校卒業直後なので、当然お金はないし、ワーホリして帰ってきてからどうするの?などの質問にも答えられるわけもなく、両親に相談しても一蹴されるだろうな……と思って、いったん看護師になる道に進みました。ただ、やはり留学したい思いは消えることなく、ずっと頭の中にありました。
臨床は3年でいったん区切って、退職しよう!と決めていました。しかし、かなり退職者が相次いだタイミングということもあり、3年目のタイミングでは上手に退職できず……。ただ、このままずるずると働くのは絶対に嫌で、2015年1月、「絶対に退職して海外にいくぞ!」と心に決め、2015年8月には退職できる目途を立て、2016年1月出発を目標に留学のことをいろいろ調べ始めました。

実はワールドアベニューの看護留学のこと、ずっと知らなかったんです。
留学やワーキングホリデーのことはいろいろと調べていて、全部で4社くらい、説明会などにも参加しました。ただ、しっくりくるものがなく、会社の違いもいまいちよくわからず、早くプランを決めたいのに、全然方向性が決められなくて、どうしよう…となっていました。

運命的な出会いがあったのはそんなときです。
オペが終了し(私はずっとオペ室で働いていました)、手払いをしていたときのことです。同じオペ室で働いている医師の方が、私が近々退職することを知って、「退職後はどうするの?」と世間話程度に会話が始まりました。

オーストラリアに留学する予定であることを告げると、驚くべき反応が返ってきたんです。
「エージェントはもう決めたの?エージェント選び大切だよ?」と。
「え!?なんで先生がそんなことを??」と聞いてみると、なんと先生がお付き合いされている方が、看護師で、海外で看護関係の仕事ができるプログラムで留学しているというのです。その留学プログラムがまさしくワールドアベニューのアシスタントナース有給インターンシップ・プログラムでした。

「え!?そんなプログラムがあるの??」と思っていると、先生の彼女さんをご紹介くださるというのです。「ぜひ、お願いします」と伝え、実際に詳しいお話しを伺いました。その時、お話しを伺ったのが菜つ季さんでした。菜つ季さんからワールドアベニューの海外有給インターンシップの話を聞き、「これだ!!」と思い、ワールドアベニューへ問い合わせ、そこからとんとん拍子で話が進んで行きました。


あの時のあの出会いがなかったら、今私は普通のワーキングホリデーで、日本食レストランでのアルバイト生活をしていたと思います(笑)。オペ室の手洗い場での運命的な出会い、本当に運命的な、とてもラッキーな出会いでした。

▼大野 菜つ季様の体験談
今ではメールはサクサク返信できるし、レストランなどの予約もできます。|大野 菜つ季さん

2 留学は心に決めていた…でも不安もあった。

幸子さん: ワールドアベニューで具体的な話を聞いて、お申込み。少しお金が足りなかったので、2015年8月退職後、約3ヵ月間アルバイトしてお金をため、当初予定していた2016年1月にオーストラリアへ出発しました。

カウンセラー: 結構ぎりぎりのタイミングだから、手続きも大変だったのでは?

幸子さん: そうですね。すでに退職が決まっていて、このプログラムで渡航を決断したのが退職の数週間前だったので、プログラム参加に必要な書類はかなりばたばたと行いました。ただ、留学することは病院にも伝えていたので、なんとか準備できました。

カウンセラー: 留学自体は決めていたとのことでしたが、不安や心配はいかがでしたか?

幸子さん: お金のこと、治安のこと、英語力のこと、両親からの心配、恋人のこと……いろんな不安や心配はもちろんありました。いろいろ悩んだり、迷ったりしたこともありました。でも、やはり念願の海外だったし、不安や心配よりも「行きたい気持ち」が勝りました。

3いよいよスタート!

念願だった留学にようやく出発!幸子さんのスケジュールは…
2015年1月~2016年3月:語学研修
2016年4月~2016年7月:Certificate
2016年8月末~2016年11月末:ファーム
2016年12月~2017年1月:キャンベラでのんびり
2017年1月末~現在:アシスタントナースとして働き出す
でしたね。それぞれのステップでのお話しを伺っていきたいと思います!

幸子さん:

・カランメソッド×プライベートレッスンで集中的に英語の勉強

語学学校は楽しかったです!!同じアシスタントナース有給インターンシップで参加している子たちも多く、同じような不安や心配を抱えていたり、悩みを持っていたり、時にぐちったり、相談したり、励まし合ったり、私にとってはとても安心感のある環境でした。
私はカランメソッド レベル2からのスタートで、ちょっとレベルが低かったので、プライベートレッスンをつけて英語研修を強化しました。そのプライベートレッスンがとても楽しくて!!(笑)
先生を独り占めできるし、普段授業中には聞けない恥ずかしい質問もできる、内容もオーストラリアのことやシドニーの観光スポットのことなどさまざまなトピックがあって、結構エンジョイしました。

・課題の山…Certificate

山のような課題と医療専門用語が飛び交う授業……Certificateは大変でした(笑)
一つひとつ、わからない単語を調べならが、時には仲間と協力しあいながら、授業をこなしていきました。
でも、私がオペ室勤務だったということもあり、病棟での介護や看護には不安があったため、リフターの使い方や、職場の雰囲気、仕事の流れなどを学ぶことができた実習は、私にとってとても良い経験でした。

4 大変だったイチゴファーム

カウンセラー:Certificate修了後、セカンドワーキングホリデービザ取得のため、ファームに行かれましたよね?どのようなところでどんなお仕事をされていたんですか?

幸子さん:ファームはクイーンズランド州にあるサンシャインコーストというとことのストロベリーファームに行きました。
もう、ほんとーーーーーーーーーーーーに大変で、ファーム先の家族には会いたいけど、イチゴを摘むのはもう……(笑)。

ストロベリーファームというとかわいい響きなのですが、日本のイチゴ摘みのようなかわいいものではありません。イチゴは炎天下で摘むと傷んでしまうので、早朝か夕方にイチゴ摘みをしました。
早朝5時、6時から10時、11時まで永遠イチゴを摘み、その後休憩を挟んで夕方改めて残っているイチゴを摘む。摘み終わったらパッキングです。セカンドワーホリビザ申請のため、1日7時間は働かないといけなかったので、毎日お仕事頑張りました(笑)残念ながら給料は時給ではなく歩合制。200グラム=25円、500グラム=50円。私は平均50~80パックくらい作ってましたから、1日の給料は多くても4,000円程度でした。アシスタントナースとして働く今は瞬殺で稼げるお金を、1日7時間、8時間、炎天下で働いて稼いでいました(笑)
写真は、最終的にセカンドワーホリビザ申請に必要な就労期間88日間の就労を終え、開放感と達成感を体前進で表現してみたときのものです(笑)

あ、でも、オーナー家族がすっごく素敵な方々で!!!

オランダ系オーストラリア人とタイ人のご夫婦だったのですが、食事はすべてオーガニックで本当においしかったし、お休みの日は、オーナーがBBQやフリーマーケット、つりなどのアウトドアに連れて行ってくれて、一緒に働いていた子たちと遊んで本当に楽しかったです。
それに、野菜がどうやって育つのか、果物がどんなふうに実をつけるのか、まったく知らなかった私にとって、本当に多くのことを学ばせてくれる機会があり、仕事や大変だったことも踏まえて、人間的にとっても成長できた時間だったと感じています。

5 キャンベラかシドニーか……迷った末にシドニーで仕事開始

カウンセラー:11月中旬、ファームからシドニーへ戻り、すぐ仕事開始されたのでしょうか?

幸子さん:実は、キャンベラで働くか、シドニーで働くか迷っていた時期がありました。12月、1月はアシスタントナースの仕事が閑散期にあたることもあり、ちょっとゆっくりキャンベラで仕事探しをしてみようと思い、1ヵ月程度、キャンベラに滞在しました。
ただ、自力での仕事探しはやはり相当難しく、またキャンベラはシドニーのように求人も多くなく、且つ、現地学生のホリデー期間(ネイティブの看護学生がフルタイムで働いているタイミング)であることも重なり、まったく見つからず、「ダメだ!」と思い、1月末、シドニーに戻りました。

カウンセラー:なるほど。シドニーに戻って、現在はどんなところで、働いていますか?

幸子さん:ナーシングホーム中心にアシスタントナースとして働いています。最近は少し貯金もできたので、平日週2~3回程度プラス土日はジャパレスでのんびり働いています。ただ、最初の内は週5回、ダブルシフト(モーニングとアフタヌーンシフトを同日に行うシフト)も結構入っていて、週の手取りで1,000ドルくらい稼いでいました。

オーストラリアは多文化多国籍な国なので、患者さんや利用者さん、医療従事者、共に働くアシスタントナース、共にさまざま国籍やバックグランドを持っている人たちがいます。宗教も文化も価値観も考え方も、本当にさまざまです。国によって仕事に対して、看護に対しての考え方も大きく異なります。英語圏ではない利用者さん達とのコミュニケーションには大変苦労しましたし、一緒に働く他国のスタッフ達の仕事に対する考え方や取り組み方の違いにイライラしたり、納得のいかない事も正直沢山ありました。
ただ、それらもひっくるめて本当に貴重な経験をさせてもらっているな……というのは日々感じています。

私は日本での臨床経験がオペ室中心でしたが、それでもオーストラリアでのアシスタントナースの仕事には困りません。
やはり仕事自体が正看護師ではなくアシスタントナースレベルということもありますし、Certificateでの実習経験も、困ったときはワールドアベニューの他のさまざまな経験を持つ参加者の方に相談することもできます。

カウンセラー: オーストラリアで働くなかで印象に残っていることを教えてください。

幸子さん: 私が利用者や患者として入居・入院するならオーストラリアがいいなぁと思います。
日本では衛生面や体調管理、盗難防止、トラブルなどを事前に回避する目的で、お花や食品、私物のアクセサリーや貴重品などの病室への持ち込みを制限する事が多く、また、パジャマなども緊急時や着脱のしやすさから前開きの物を指定する事が多いですが、オーストラリアの施設は、それらの制限がなく、私服で過ごされてる方がほとんどですし、壁一面に家族写真を飾っている方や、女性はアクセサリーを身につけたり、お化粧したりしてる方も沢山いらっしゃいます。
まるで自分の家で過ごしているかのように療養生活を送れるのは、白い壁、白いベッド、白いテーブルに囲まれて過ごす日本の医療施設とは大きく異なる点だなと感じました。何をどう捉え、どう感じるかは人それぞれだと思いますが、自分らしく日常生活を送れるという意味では、私はオーストラリアでの療養生活スタイルに魅力を感じました。

それに、利用者や患者さんと医療従事者との距離感が近いことも「いいな」と感じたことの一つです。
スタッフが利用者さんに「おやすみ、ダーリン」とハグをしたり、利用者さんが「ありがとう」といってほっぺにキスをしてくれたり、日本では考えられない距離感に、なんとも言えない温かさを感じました。愛が溢れている感じが、本当に素敵だなと思ったし、本当に「療養」できる環境だなと感じました。

カウンセラー: ありがとうございます。お仕事も後半戦に差し掛かっていますが、今後やりたいことは?

幸子さん: 実は6月に日本の友人の結婚式と母の誕生日があるので、日本に一時帰国予定なんです。
少し変な感じですが、日本を堪能して戻ってこようと思っています。

残りの滞在期間は、ダイビングのライセンスを取ったり、ウルルに旅行したり、英語ももうちょっと頑張ってTOEICやIELTSにもチャレンジしてみようと思います。あとは英語力やお金のこともありますが、他の国にもうちょっと留学してみるのもありかなーなんて思っています。

6 看護留学を考えている皆さんへのメッセージ

幸子さん:
留学前に感じていたさまざまな不安を思い返してみて思うのですが、私、渡航前に感じていた不安、今一切感じていません。治安はいいし、気候もいい。給料もいいし、オーストラリア人はとってもフレンドリーで親日家も多い。日本が恋しくなれば日本食も食べれるし、ワールドアベニューのスタッフ、そして共に頑張ってきた仲間がいます。時差もないからいざとなれば日本の家族や友達と連絡も取れるし、距離や重さを表す単位の表現も一緒でわかりやすい。本当に住みやすい国だと思います。
多国籍な人たちも多くて、日本人で英語がへたくそでも、バカにする感じもないし、私はオーストラリアが初めての長期の渡航国で本当によかったと感じています。

日本にいたら気が付けなかったこと、知らなかったことに沢山出会えます。
英語力と共に世界も広がります。
迷っているなら飛び込んでみたらいいと思いますよ!