【体験談】コロナ禍を経て挑戦した看護留学!「諦めないでよかった」と心から言える貴重な経験だった

お名前石川佳苗様留学期間2022年1月 - 2024年1月
滞在都市シドニー/オーストラリアインターン先ナーシングホーム、リハビリ病院

1.佳苗さんの留学スケジュール

看護師限定ワーキングホリデーとして、看護師さんから高い人気を誇る「アシスタントナース有給インターンシップ」。当プログラムに参加し、2年間のオーストラリア生活を堪能された佳苗さんから体験談をいただきました。セカンドワーホリビザ取得のために挑戦したファームでの経験ナーシングホームやリハビリ病院で働いたことで感じた日本とオーストラリアとの介護・看護の違いなどお話しいただきました。

佳苗さんの留学概要

渡航国:オーストラリア
渡航都市:シドニー
留学プログラム:海外看護有給インターンシップ
渡航期間:2022年1月 – 2024年1月
インターンシップ先:ナーシングホーム、リハビリ病院

お問い合わせから帰国までの流れ

佳苗さんのオーストラリア生活の様子

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2.学生時代から決めていた「看護留学」


私が幼い頃、父の仕事の関係でアメリカに滞在していたことがありました。そのときの経験から「日本と異なる価値観や生活、働き方に刺激を受けた」と話す父の姿を見るなかで、気がつけば「海外」に興味を持つようになっていました。その影響もあってか、中高時代から英語は得意科目の一つで、常々「もっと話せるようになりたい」と感じていました。

東日本大震災の報道を介して知った「保健師」という仕事

将来の職業を意識するようになったある日、大きな震災が日本を襲いました。そう、東日本大震災です。東日本各地での大きな揺れや、大津波・火災などにより、東北地方を中心に12都道府県で2万人以上の死者・行方不明者が発生する..という悲惨な状況のなか、ある報道が私の目を釘付けにしました。それが「保健師の活動」です。
当時数多くの医療者の方々が支援活動に携わっていました。その中で、避難民をはじめとする地域の人々の二次的な健康被害の予防に携わる保健師の活動に興味を持ったのです。調べていくうちに、住民の健康を守るために幅広い役割を担う保健師という仕事に魅力を感じ、将来の進路として志すようになりました。

看護師から保健師へ.. 転職のタイミングで留学することを密かに決意

保健師を目指してはいたものの、保健所や保健センターでの実習の中で、看護師としての実務経験は保健師としての活動にも役立つことを身をもって体感し、卒業後はまず看護師としてキャリアを積むことにしました。と、実は大学3年生の夏に、やや衝動的にカナダでの短期留学に挑戦しました。今思えば「英語」や「海外」への興味や挑戦の気持ちがそれだけ強かったのかもしれません。

このカナダ留学の際にサポートしてもらったのがワールドアベニューでした。そのときに担当アドバイザーさんから看護留学についても教えてもらい、話を聞くうちに「そうだ、看護師から保健師に転職するタイミングで看護留学しよう!」と考えるようになりました。

そうして、やることモリモリな20代がスタートしました。

3.念願の渡航!オーストラリア生活


看護師として働きながら、2020年8月の渡航を目標に2019年11月に海外看護有給インターンシップ・プログラムに申し込みました。しかし、2020年3月、広がり続ける新型コロナウイルス感染症の影響を受けオーストラリアが入国制限を開始.. 出発延長を余儀なくされました。

学生時代から思い描いていた夢の一つでもある留学を簡単に諦めることはできず、いつ渡航できるかわからない不安を抱えながらも日本で仕事を続け、入国制限の解除をひたすら待ちました。

2021年12月、段階的に入国制限が解除されることがようやく発表され、当初の予定から1年以上遅れて2022年1月になんとかシドニーへ渡航することができました。
観光地としても有名なオペラハウスやハーバーブリッジ、街の中心地でヨーロッパ調の建物も多いタウンホールなど、散策するだけでも楽しい日々がそこにはありました。待っていた期間精神的につらかったこともあり、ただの散歩でもちょっと感動して涙が滲んだのはここだけの話です。

語学学校、Certificate での勉強

語学学校 MIT Institute で約2ヶ月半英語を学び、その後、アシスタントナースとして働くために必要な資格取得のためCertificate コースを受講しました。

語学学校のクラスメイトは、ほとんどが私と同じようにコロナ禍を耐えてようやく留学を実現した仲間たちでした。日本に帰国した人もオーストラリアでの生活を続けている人もいますが、今でもいい同志です。
先述したようにもともと英語は好きで少し話せましたが、改めて文法を学び直したり単語やセンテンスの細かなニュアンスを知ったりでき、2年間オーストラリアで働きながら過ごす上で良いチャージ期間になりました。

Certificateで印象に残っているのは実習です。一言でいうと日本の看護学部での実習とは全く違いました。特に違いを感じたのは、「学生扱いされない」という点です。日本で行った看護実習はシャドーイングが多く、患者さんへのケアはほとんど教員や看護師と一緒にやっていました。しかし、オーストラリアでの実習では、一人の戦力として見なされているような感覚さえあり、責任感も日本の実習生が感じるものとは全く違いました。

例えば、ある業務をしていたときのことです。少し遠いところから先輩が何かしら指示を出していましたが、私はそれに気が付かず目の前の業務を続けていました。すると、その先輩職員から報告を受けたマネージャーから呼び出されて指導されるということがありました。このように、よくも悪くも、実習生のうちからリアルな責任の重さを感じることが多々あったことを覚えています。

4.セカンドワーホリビザ取得のために挑戦したファーム


セカンドワーキングホリデービザの取得については渡航前から決めていました。「1年では絶対物足りないだろうな..」と考えていたからです。

ファームはCertificate受講中あたりから並行して、Gumtree(オーストラリアの情報ポータルサイト)やFacebookを利用してファーム先を探しました。ただ、季節労働ということもあり、前もって仕事を決めるのは難しく、最初の仕事が決まったのも直前のことでした。

最初は飛行機でCoffs Harbourにブルーベリーファーム行きました。ただ、このブルーベリーファームが残念ながらいわゆる悪徳ファームでした。
給与額を抑えるために、本来の就労時間よりも短く計算されていたのです。セカンドワーキングホリデービザ申請要件を満たすためにファームで働いていた私は、就労時間を誤魔化されてしまうことには大きな不安がありました。そこで、このブルーベリーファームには1週間で見切りをつけて改めて求人を探し、Milduraという町の近くのバッパーへ移動しました。

オーストラリアならではの生活を堪能


二箇所目でのファーム生活は、一箇所目とは打って変わって本当に楽しい時間でした。

そのバッパーで待っていたのは、周囲のファームと連携していてファームジョブを紹介してくれるオーナーとその家族、そして20人前後のヨーロピアン(ドイツ、フランス、イギリスなど)を中心としたバッパーたちとの共同生活でした。オーナー家族はご夫婦と小学生くらいのお子さんが3人。パパの訛りの強い英語が本当に聞き取れず、周囲のヨーロッパ諸国の友人たちにサポートしてもらいました…。

仕事は、最初柑橘系のフルーツのパッキング、その後はvineyard(ぶどう畑)のメンテナンスなどに携わりました。いつまで詰めてもなくならないオレンジ、手首や膝の痛み、大量のかたつむりとこんにちは.. などとハードな面もありました。一方、仲間と一緒に毎日土にまみれてブドウの枝を切り、トラクターを運転したりしながら、一本のワインの裏にこんなにも手がかかっていることをふとじんわり感じて感傷にひたったりもしました。

半分野外のようなハウス(キッチンすら屋外でした(笑))だったので、仕事のあとはみんなでご飯を作り、焚き火を囲みながら毛布とビールを片手に「肌寒くなってきたねー」なんてたわいもない会話をしながら過ごします。空を見上げれば満点の星空で、あたりにはカンガルーがぴょんぴょんと飛び回る…。そんな環境でした。

大自然のなかでのマイノリティとしての生活は、意外にも居心地がよかったです。また、学生時代、看護師としての仕事、コロナ禍での経験などそれまで過ごしてきた忙しない日々の中では感じられなかったこと、見えることのなかったものにたくさん触れることができ、充実した時間を過ごすことができました。セカンドビザの取得という当初の目的以上に、この生活で得たものはとても大きかったと思います。

10月に日本への一時帰国を予定していた私は、このファームでセカンドワーホリ申請要件を満たしてしまいたかったのですが、いかんせん自然相手の仕事のためそううまくもいかず.. 日本から戻ってきたのち、上記とはまた別のストロベリーファーム(ここはまた悪徳ファームでした..)で残りの日数を稼ぎ、シドニーに戻りました。

5.オーストラリアの看護・介護・医療の現場で働いて感じたこと


ファームを終え11月にシドニーに戻ってからは、いよいよアシスタントナースとして働き始めるための準備を始めました。MIT Instituteに連絡し、英語レベルチェックテストを受けて、派遣会社登録の手続きをしました。

12月から1月は現地学生がホリデー期間中ということもあり、求人がグッと少なめ..ですが1月に入ると仕事は増えていきました。多いときは週6だったり、ダブルシフトと言って1日に2回派遣される日もありました。

私が派遣されたのは主にナーシングホームと呼ばれる高齢者介護施設と、リハビリ病院でした。オーストラリアの高齢者の方は驚くほど元気で、服装やお化粧などもとても華やかです。週末にはご家族が訪れ、思い切りおしゃれをしてビーチに遊びに行くなど、自由度の高い生活が印象的でした。何事においても規則重視、医療者、介護者側の目線で日々のスケジュールが決められてしまいがちな日本に対し、オーストラリアは利用者側の意思や意向をより重視していたように思います。利用者・患者ファーストなあり方には魅力を感じることもありました。

もちろん、納得するのに時間を要したこともあります。

例えば、ある介護施設で、入居者さんが1人コロナに罹患してしまったときのことです。日本であれば、その利用者の方を隔離するなど感染予防措置をとると思います。その利用者さんは施設内をあちこち歩きまわる方でした。隔離しなければ感染拡大するのでは?と私は気が気でなかったのですが、職員の方達は「あの人はいいのよー」と行動を抑止することもなく、廊下を自由に歩き回っている姿を見守っていました。その方のみが原因とは限りませんが、その後罹患者が多く出てしまったと後日聞きました。このように、利用者・患者ファーストとはいえどこで線引きするのか難しい…と感じることもありました。
こういったネガティブなエピソードも含め、日本での医療や介護を外から見つめなおすような機会として非常に勉強になったと感じています。

6.大自然を堪能した国内旅行


ここまでだと勉強と仕事ばかり.. のような印象を持たれる方もいらっしゃるかもしれませんが、実は、アシスタントナースとして働く傍ら、ケアンズやパース、メルボルン、タスマニアなどオーストラリア各地への旅行も存分に楽しみました。また、シドニーで自動車を購入し、ブルーマウンテンやニューカッスル、ネルソンベイなどニューサウスウェールズ内の観光地へドライブしたりもしました。

世界遺産にも登録されている世界最古の熱帯雨林や世界最大のサンゴ礁地帯グレートバリアリーフ、世界で最も幸せな動物と言われるクォッカが多く生息するパースのロットネスト島、またバス海峡とインド洋の最高に美しい景色を楽しめるメルボルン近郊のグレート・オーシャン・ロードなど、オーストラリアだからこその大自然に触れた時間は何にも変え難い経験でした。しっかり給与を得られたからこそ、自動車を購入し、行動範囲を広げることができましたし、仕事だけでなくプライベートを充実させられたというのもこの看護インターンシップ・プログラムの魅力だなと思います。
参照記事:看護インターンが人気な理由とは

7.今後の目標


オーストラリアには移民が多く、外見はもちろん、価値観や考え方、生活習慣、信仰している宗教など、十人十色です。異なる生き方やあり方、価値観を互いに認め合い、尊重しあうことが当たり前の社会で生活するなかで、私自身、いろんな変化がありました。

例えばオーストラリアに行く前は、多様性が大事と頭ではわかっていても、自分と異なる考えの人に直面したときに「自分なら○○するのに」等と思ってしまっていました。また、自分が直接関わっていないミスやトラブルでも、「自分があのとき気がついていれば..」「あのとき注意していたら..」と自責の念に悩まされることがありました。
しかし、オーストラリアで2年間過ごすなかで、「違い」に対して寛容さを持てるようになったり、自分のことと他人のこととの境界線を上手に持てるようになったりしました。そのことで、心が少し軽くなったように感じています。オーストラリアで過ごした2年間は私の人生の大きな財産です。

私は日本に帰国し、いよいよ保健師になるべく、日々の勉強や準備に邁進しています。多種多様な人々が集うオーストラリアで生活し、見て感じたことを胸に、異なるバックグラウンドを尊重し合うことのできる保健師になりたいと考えています。

8.さいごに


体験談を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。佳苗さんの体験談はいかがでしたでしょうか。

コロナ禍をへて念願のオーストラリア生活を満喫された佳苗さん。異文化のなかでの生活は今後の保健師としてのキャリアをより充実度の高いものにしてくれる、そんな経験に繋がったように思います。今後のご活躍が楽しみですね!

さて、ワールドアベニューでは看護留学について日々様々な疑問質問にお答えすべく、説明会留学カウンセリングを無料で実施いたしております。いずれも原則オンラインでご参加いただけるため、全国どこからでもスマホ一つでご利用いただけます。定休日の木曜をのぞき、土日祝日も営業致しておりますので、お気軽にお問い合わせください。