年齢なんて関係ない!やりたいと思ったことは動き出せば何とかなるもんだ!

お名前鈴木 麻紀子 さん留学期間2012年3月~2013年3月
滞在都市シドニー/オーストラリアインターン先ナーシングホーム & プライベートホスピタル

1 看護インターンシップに参加されたきっかけや理由

海外で英語の勉強をしながら資格を生かして仕事が出来るということがとても魅力的だったから。
1年留学しても語学力が変わらない人もいると聞いたことがあったので、看護は色々な人と触れ合うことができるし、ローカルの中で仕事をすることで少しは語学力もUPするかなぁと思った。

日本で働いている時に、英語圏の入院患者さんが何度かいて、訴えを理解してあげられないのがもどかしかった。これからも出会うかもしれないし、英語くらい話せないとダメだよなぁ、私も話せるようになれたらいいなぁ、と何となく思っていたことがきっかけ。

2 出発前の英語力はどのくらいでしたか?また現在の英語力はどのくらいですか?

出発前は全然ダメ。留学を決めてから何冊か教材を買ったけど、中1,2くらいの文法は覚えていても、後はわからないから諦めた。
オーストラリアでアシスタントナースの仕事をはじめたばかりの頃もさっぱりで、ジェスチャーを交えて説明してくれる人だとわかったり、何となくの理解で“当たってた!”“間違ってたか”という感じで、とりあえず笑顔でごまかしてしまったりとスタッフについて行くだけで精一杯だった。
今は仕事中に難しいから顔をされることもほとんどなくなったし、最初の頃は黙って見ていた休憩室での会話も簡単な日常会話なら理解して加われるようになってきたので、少しは成長したのかなぁと思う。

3 具体的にどのような仕事をされていますか?

主には清拭、シャワー浴、食事、着脱、洗面、トイレなどの日常生活介助。記録は自分で書く施設と相方のスタッフが書いてくれる施設と色々。後はリクリエーション中の見守りや簡単な掃除、プライベートホスピタルではバイタルサイン測定など。

4 日本とオーストラリアとで感じられた看護の違いを教えて下さい。

・職種によって仕事内容がきっちり分けられている。オーストラリアでは、爪切りまで専門の人がいてビックリした。
・仕事より自分の休憩が優先・・(笑)
・1人1人の居住スペース。部屋は広いし、部屋の中に専用のバスルームがある施設がほとんど。
・ティータイムやディナーの時間にビールやワインなどのアルコールを飲んでいる。

5 アシスタントナースとして働いた中で印象に残っていることを3つ程度あげてください。

・英語の話せない日本人のおばあちゃんがいて、スタッフとそのおばあちゃんの通訳が出来たこと。「言葉は通じないけど私達スタッフみんな、彼女のことを愛してるの」というスタッフの言葉に嬉しそうなおばあちゃんと、それを見て喜んでいるスタッフの嬉しそうな顔が忘れなれない。
・障害者施設での夜勤の時に何となく死期を感じた利用者さんがいた。
たまに唸り声をあげるので、他のスタッフには何もしなくてもいいと言われたけど、部屋に行って背中をさすっていた。後から、その方が数日後に亡くなったと聞いて、日本では忙しくて充分に時間がとれないことがあるけど、あの時に充分な時間があったので、その方に為になるケアが出来てたらいいなぁと思い心に残っている。
・数回行ったことのある施設だと利用者さんやスタッフに覚えてもらえることがわかった時に単純に嬉しい!

6 実際にどのくらいの頻度・収入で働いていますか?

平日$24~27/h、土曜$32/h, 日曜$37/h
週によって仕事のある時ない時バラバラだけど、大体$500~$800/w近くもらえる。
土日はほとんど仕事ないけど、平日の1回5~6hを3シフト働けば1週間の生活出来るのであとは貯金や自由に使えるくらいもらえる。

7 今後の目標を教えてください。

初めは語学勉強や看護インターンというより留学するという自分の挑戦だけで満足だったけど半年経って生活に慣れて安定もしてきたからやっとホームシックから抜け出せたので、
せっかくここにいるんだから、ちゃんと勉強も続けて語学力UPも目指し、働いて貯金もしてオーストラリアを満喫して帰りたい!

8 これから出発される方、または現在検討されている方にアドバイスをお願いします。

私は本当にちょっとした勢いで決断し、オーストラリアに到着してから1週間は旅行気分で楽しんでいました。ただその後からはずっとホームシックで毎日帰りたいと思っていました(笑)でも、本当にもう日本に帰りたい!と強く思ったときに振り返ってみたら、この年になってこんなにまた色々な人と出会えて友達が出来て毎日が新鮮で新しいことに挑戦していけるって自分で何か動き出さなきゃ出来ないことだなぁと思ったので、せっかくの機会、もっとギリギリまで頑張ろうと決めました。私は留学という形だったけど、いくつになってもやりたいと思ったことは自分で動き出せば何とかなるもんだ!と思います。