120%楽しんだ看護留学

お名前須貝 友紀さん留学期間2016年1月出発-2017年2月帰国
滞在都市シドニー/オーストラリアインターン先ナーシングホーム

2016年1月に出発し、1年間のオーストラリア生活を満喫後、オーストラリアのタスマニア州とニュージーランドを旅行し、2月に帰国した友紀さんへのインタビューは、「とにかくすべて楽しかった」という第一声から始まりました。

目的は「遊び」だったと言い切る友紀さん。
「遊び」の中にもさまざまな出会いや経験、学びが詰まっていたように感じます。
帰国されたばかりの友紀さんから伺った体験談を皆さんにも一部ご紹介いたします。

1 留学のきっかけは?


もともと高校生くらいのころから海外には憧れがありました。でも、高校卒業後の看護学校では、日々の勉強や自習など忙しく、なかなか踏み出すタイミングはつかめずにいました。
「よし!留学行くぞ!」と決めたのは、無事、看護師資格を取得し、就職、PICUで働き始めて臨床2年弱の時期です。もとから留学したかったこともあり、お金さえあればすぐにでも行きたくて(笑)よく、「石の上にも3年」じゃないけど、臨床3年はやらないと…って言いますが、私にとっては不思議で仕方ありません。留学から戻ってきたら「また働けばいい」と思っていたので、臨床年数はあまり気にしませんでした。

最初は、ワーキングホリデーを考えていて、「看護留学」の存在を知りませんでした。たまたま「看護 留学」とインターネットで調べたんだと思うんです。そしたら、ワールドアベニューのアシスタントナース有給インターンシップを見つけたんです。

問合せして、詳しく聞いてみて「これだ!」と思って、実際の出発から1年ちょっと前だったんですけど、即効で決めました。(笑)

2 節約して必死で貯金した渡航までの1年間


決断してからの準備期間、両親の説得も職場の説得も、書類の準備も特別に「大変」というものはありませんでした。ただ、一点、しんどかったものがあります。
それは、お金です。
臨床経験が短いということは、物理的に働いている時間が短いので、お金のところだけは本当に大変だったと思います。特に就職して2~3年目って、仕事も少し落ち着いて、徐々に自分のペースで生活できるようになり、お給料もしっかり入るので、同期たちがバンバンお金使うんです。外食したり、旅行に行ったり…。そんななか、私は節約のために家電製品のコンセントを抜いたりしているんです(笑)。 当時の節約生活は、やはりしんどい時期もありました。(笑)もちろん、その時の努力の甲斐あって、本当に楽しい留学ができたんですけどね!

両親は、もともと私が海外に興味があったことを知っていたので、特に大きな反対はありませんでした。臨床経験が浅い点に関してはやや心配していたようですが、それ以外は応援してくれていました。本当に「ちょっと(オーストラリアに留学で1年間)行ってくる」と伝えたくらいです(笑)

確かに、臨床経験が少なくて不安だった点は私にもありました。でもそれは帰国後の就活などではなく、PICUしか経験がなかったため、PICUでの経験だけでオーストラリアでアシスタントナースとしてはたらけるのかな…?というものでした。でも、全然なんとかなります。(笑)

職場も、驚かれはしたものの、大きな反対はありませんでした。
アシスタントナース有給インターンシップに申込をしたのは、渡航の1年数か月前なのですが、職場には、ちょうど渡航1年前を切ったくらいの時期に退職の意向を伝えました。1年前なら退職大丈夫だよね…と思っていたのですが、そのタイミングでも「もっと早く言ってよ!」と師長さんから突っ込まれ、私も驚いてしまいました(笑)。
師長さんには、「まだ申込はしていない」と伝えていたのですが、なにせ本当はすでに申込済だったので、決意の固さが伝わったのでしょう、あまり大きな反対はなく、アシスタントナース有給インターンシップ参加に必要な書類作成にも協力してくれました。

アシスタントナース有給インターンシップに参加するに伴い、臨床経験の証明やスキルやパーソナリティ面の照会が必要で、師長さんや病院にご協力いただく必要があるのですが、「具体的にどのようなプログラムなのか」を説明しなければいけなかったり、「その企業大丈夫?」と心配されたりした人もいたみたいなのですが、そういうことはありませんでした。

3 辛かったのはゴキブリだけ!?(笑)


気が付けば、あっという間の1年ちょっとの準備期間が過ぎ、2年9ヵ月間の臨床を経て、オーストラリアに出発しました。1年間通してとっても楽しかった留学ですが、唯一しんどかった出来事と遭遇しました。

ゴキブリです。

シドニーに到着してからすぐの4週間、ホームステイに滞在していました。
ホームステイはとても広くてきれいな宅で、ホストファミリーもとても優しくて…… ただ、どこかに巣があったようで、ゴキブリの子供たちが、わさわさわさわさわさわさ…と……(泣)

この経験が唯一しんどかった思い出です(笑)。

でも、本当に、これだけです!
英語は、もともと英会話に通ってはいたものの、あまり自信がありませんでした。でも語学学校での特殊な英語の勉強も楽しかったし、上にはうえがいるので、大満足!!とは言えませんが、英語でのコミュニケーションには慣れました。Certificateも、「大変」と聞いてはいたものの、小児だけの経験しかない私にとって高齢者介護を中心に学ぶ経験はすべてが新鮮でした。シェアや仕事、その他の経験は本当にどれもこれも楽しくて、このゴキブリ事件だけがしんどかった事件でした(笑)。

4 最高に楽しかったシェアハウス生活

4週間のホームステイを経て、シェアハウスに移りました。
このホームステイ直後の初めてのシェアがすっごく楽しかったんです。
2月から5月くらいの約3ヵ月間滞在していました。
5月くらいでアシスタントナース有給インターンシップの語学研修とCertificateが修了するのですが、ちょっとファームも体験してみたいと思い、1ヵ月間くらいファームにいってみることにしたんです。
選んだのは、マンダリンオレンジ、レモンのファームでした。
広大な土地でおっきな空を見ることができたり、素敵なファーム仲間と無心にピッキングしたり、毎晩ささやかなパーティしたり、日本ではなかなかできない体験がてんこ盛りで、とても楽しい日々でした。ただ、このファームの給料が「歩合制」で仕事的に、かなーーーーーーーーり、厳しかったんです。体力的に持たず、残念ながらあまり稼げず、「もういいかな」と思い2週間でシドニーに戻りました(笑)。この時期が、1年間を通じてマックス貧乏でしたね(笑)。

シドニーに戻ったはいいものの、もともと住んでいたシェアにはすでに人が入ってしまっていたので、新しくシェアを探しました。すると2か所目のファームが最悪でした(笑)。

シャワーは水しか出ないし、雰囲気悪いし!!
シドニーに戻ってすぐにアシスタントナースの仕事をワールドアベニューに紹介いただいたので、即効で働き始めました。するとちょうどそのタイミングで以前のシェアハウスのオーナーが、「シェア、空いたよー」と教えてくれたのです。空き部屋がでたことを受け、これまた即効で前のシェアに戻りました。

以降、同じシェアハウスでずっと生活していたのですが、このシェアでの生活は本当に最高でした。
一緒に暮らしていたのは、オーストラリア人、韓国人、イギリス人、アメリカ人、ブラジル人、トルコ人など男女10人で、オーナーも一緒に長く暮らしていました。全員とても仲良くて、みんなルールも守るし、広いし、一緒に遊びに行ったり、ご飯を食べに行ったりしました。例えば、クリスマスにみんなでツリーを飾り付けて、プレゼント交換したり、夏にはBBQに行ったりと本当に仲良しでした。

5 「人生の楽しみ方」がとても上手なオーストラリア人


仕事は主に、ナーシングホームでアシスタントナースとして働きました。
私が派遣で働いていたナーシングホームに、(かなり)高級老人ホーム的なところがあって、その老人ホームの利用者の方(90代の女性の方)からプライベートケアの派遣を受けていました。8:00AMから8:00PMまでの仕事で、最大20連勤したこともあるくらいハードな時もありました。
私がケアを担当させてもらうようになった当初、その方の様態はあまりよくなかったんです。ただ、ケアを継続していくうちに、どんどん良くなっていきました。寝たきりのような状態だったところから最終的には、ご家族と毎週オペラハウスでのオペラ鑑賞を楽しむことができるくらいになりました。ご家族の方やご本人からも、「ありがとう」と言ってもらい、本当に嬉しかったことを覚えています。

仕事を介して感じたことは「オーストラリア人って人生の楽しみ方が上手だな」ということです。
休憩はしっかりと取るし、仕事は定時で必ず終わります。利用者から何か頼まれたタイミングが休憩30秒前だと、「私たちこれから休憩だからごめんね」と断るんです。再度は驚きましたが、働く上ではとても働きやすいと思いました。
介護施設も、介護施設とはいうものの、ケアのレベルもまちまちで、施設や人によっては、食事がかなり豪華で、希望する利用者さんにはランチのときでもワインがふるまわれたりします。

プライベートケアしていた利用者さんの週末の過ごし方もしかり、どんな状況でも人生を楽しむ気持ちを忘れないという感じがとてもいいなと思いました。

お給料もしっかりともらえます。
時給は最低25.8ドル(日本円計算で2,500円くらい)からで、なんだかんだ、1週間の手取りはだいたい10万円程度だったと思います。ファーム直後の貧乏感がウソのような生活が送れるようになりました(笑)。

人生を楽しむことが上手なオーストラリア人に習って、私も「派遣」という立場を最大限有効活用して、働いては旅行する生活を満喫しました。がっつり集中して働いて、1週間くらいお休みもらって、旅行にいくんです。働いている間に旅行したのは、アデレード、メルボルン、ゴールドコースト、ケアンズなどなど。ケアンズは体験型のアクティビティが多く、熱帯雨林を散策したり、ダイビングしたり、きれいなビーチを堪能したり…… 本当に楽しかったです!
旅行しながらの生活だったにも関わらず、最終7,000ドルから8,000ドル(70万円から80万円)程度貯めることができたので、仕事が終わってからも、貯めたお金で、タスマニアやニュージーランドを思いっきり旅行して帰ってきました。留学前に作った「やりたいことリスト」は全てやりつくしてきた感じです。

ちなみに、シドニーには本当にさまざまな国の人々が生活しています。
アシスタントナースとして働いている人にもさまざま国の人々がいます。
私たちは日本で看護師していたこともあり、プライドもあるせいか、他国のアシスタントナースとぶつかることもあるようです。中には、〇〇人はいい加減であんまり好きになれない…という人もいます。
ネパールもその中の一つの国籍です。
日本で正看護師だった私たちに比べると、ケアが雑だったり、時間にルーズだったりという方がいるのは事実です。でも、私自身は、仲良くなってみて、「とても優しい人たちだな」と感じました。ネパール人の人々はオーストラリアという異国の地で頑張っている同国同士ネットワークが強くなり、他の国籍に対して、警戒心が強いとこはあると思います。でも、長くアシスタントナースとして働いている方の中には仕事がしっかりしている人もいますし、オーストラリアで正看護師資格を取得するために、大学で勉強している頑張り屋な方もいました。先入観を持たずに、接してみることがおすすめです。

6 1年間プランで行くなら「1月出発」がイチオシ!!


アシスタントナース有給インターンシップには、出発月が年に何度かあります。
3月末が最も退職しやすい時期だからか、4月、5月の出発者が最も多いと聞きます。が、私は、1月出発がダントツお勧めです!!

オーストラリアは南半球にあるので、日本と季節が逆です。
アシスタントナースの仕事は冬の時期にかけて求人数が増えるのですが、1月出発で行くと、真夏のとてもいい時期にオーストラリアを楽しみながら、英語を勉強できます。そして、語学研修とCertificateが修了する秋から冬にかけて(5月、6月頃からの6ヵ月間)仕事をします。旅行を楽しんで帰国する時期は11月から1月でまた真夏のシーズンなので、もう最高です。

↓こんなイメージ

1年間で帰国する!と決めている方にとってはとてもお勧めの出発月なんです。
臨床経験は2年9ヵ月間とやや中途半端な数字ですが、またこれから働いていくので、何も問題に感じていません。

参照:アシスタントナース有給インターンシップ 希望渡航年数別 オススメ出発月

7 私はまだ25歳!「行ける」ときに行くべし。


2017年2月。オーストラリアでのワーホリ生活と、各都市への旅行、最後にはニュージーランドも堪能して帰国しました。さんざん海外を堪能したにも関わらず、まだ25歳です!(笑)

仕事も、結婚も旅行も、出産も、まだまだなんでもチャレンジできるし、スタートするのに苦のない年齢です。再就職だって特にハードルはありません。留学はお金も時間も投資するので、確かに勇気のいる決断です。でも、「留学できるとき」は人生の中で今だけしかないかもしれません。「今、行ける!」と思ったらぜひ踏み出してみてください。

本当に楽しいですよ!!!!!