キャリアにマイナスになることなんてない!最高だった看護留学

お名前村石 亜弥さん留学期間2016年9月~2017年9月
滞在都市シドニー/オーストラリアインターン先ナーシングホーム

「ワーキングホリデービザを取得したのは31歳になる直前…。あの時、ビザ取得していなかったらこの1年間はなかったと思います。」と始まった亜弥さんの留学 体験談インタビュー。留学したい気持ちはありながらも、看護師としてのキャリアとの狭間でさまざまな葛藤もあったと言います。

1.「普通のワーホリ」じゃだめ。達成感の得られるプランを!


幼いころからずっと人々を支えられる仕事、誰かのためになる仕事をしたいと考え、看護師になりたいという思いがありました。ただ、一方で海外には学生のころからずっと興味がありました。英語が好きだったです。大好きだった英語を活かせる仕事につきたいという気持ちもありました。

英語は自分でも勉強していくことはできます。ただ、看護師資格は独学で取得することはできません。そこで、「まずは看護師になろう!」と決め、30歳になるまで、看護師としてのキャリアに邁進してきました。

全力疾走してきた20代……。30歳になって周囲は結婚、昇進、出産、と各々にさまざまな節目を迎えているように思いました。ちょうどそのころ、私も自分のキャリアを改めて考えることが多くなりました。看護師として、自分の専門分野をしぼり、認定看護師や専門看護師の資格取得を目指すのか、臨床指導を続け、ゆくゆくは教員を目指すのか、いろんなことを考えました。

ただ、より方向性を絞り、新たなキャリアを積み始める前に、やはりどうしても気になっていたのが「留学」でした。「海外の看護や医療を見てみたい」というずっと抱いていた気持ちをどこかで形にしたいという思いが頭を離れなかったんです。

そこで、「とりあえず…」と思い、資料請求してみました。
本当にいろんな方向性で迷っていた時期なので、資料請求した時点では、「絶対挑戦する」と決めていたわけではありませんでした。ただ、そのときご連絡いただいたワールドアベニューのカウンセラーの方に、アシスタントナース有給インターンシップ・プログラムをご紹介いただき、「この留学ならチャレンジしてみたいかも」と思えたのです。31歳の誕生日を迎える直前のことでした。

アシスタントナース有給インターンシップは、ワーキングホリデー制度を利用したプランのため、参加に伴い30歳中にワーキングホリデービザを取得している必要がありました。

私の年齢が31歳になる直前と知ったカウンセラーさんは、「『看護留学にチャレンジする』と決めたとき、ワーホリビザがないことで、このプログラムへの参加機会を損失するのはとてももったいない。だからワーホリビザは取得しておきましょう!」と背中を押してくれました。

無事、ワーホリビザを取得した私は、しばらくして、プログラムに参加することを決意しました。31歳になる直前だったあのとき、いろんな偶然と人との出会いが重なり、奇跡的にも海外に挑戦できることになって、本当によかったと心から思っています。

なぜ、普通のワーホリではだめだと思っていたのか。

普通のワーキングホリデーでの渡航に抵抗があった理由は大きく2つあります。
1つ目は、英語力の観点。2つ目は、経験値の観点です。

せっかく今までの日本のキャリアを絶つからには、それなりの対価がほしいと考えていました。それが英語力と海外での経験です。
私は、縁があって、以前、スウェーデンで暮らしていたことがありました。スウェーデンでの生活は1年間程度でしたが、最低限の日常英会話はできる状態でした。だから、「日常英会話ができるようになる」というのは私の目標ではなかったんです。また、普通のワーキングホリデーの場合、働く場所は飲食店などが多く、医療や看護の現場となると、難しいというのは知っていました。日本で積み重ねてきたキャリアをいったん捨てるのに、看護に関係のない仕事、しかもバイトをしてくるだけでは、もったいない…と感じていたんです。

対して、アシスタントナース有給インターンシップのプログラムは、英語の勉強だけをする語学留学ではなく、飲食店でのアルバイをしながらただただ毎日なんとなく過ぎていくワーホリでもなく、語学研修の後に実際に医療や看護の現場に入り、働くことができると聞き、自分の思いにとてもフィットするプランだと思いました。

留学するまでで大変だったことは?


両親は、私の性格を知っているので、特に止めることはありませんでした。両親が心配したことと言えば、「本当に現地で働いて稼ぐことができるのか」ということくらいでした。ただ、最悪働けなかったり、挑戦してみて本当に嫌だったり、やはり日本がいいと思えば、帰ってくることはできます。そう考えると、特に大きな抵抗にはなりませんでした。

病院の退職は、それなりに大変でした。ただ、大変といっても、周囲に猛反対されて留学に必要な書類作成にも協力してもらえなくて…とかではありません。有難いことに職場の方は、とても理解があり、応援してくれました。ただやはり、経験のあるスタッフが1人いなくなる…というのは現場にそれなりの影響を与えます。したがって、きちんと勤め上げて退職する、そのスケジュール調整には多少の苦労があったということです。

一番大変だったのは、「お金」です(笑)。旅行が大好きだった私は貯金に一苦労しました(笑)。
留学すると決めてからは、担当のカウンセラーさんにも協力してもらい一緒に貯蓄計画を立て、車を売り、ボーナスには手を付けず、旅行も我慢して、集中的に貯金しました。
人間、やると決めればできるものです!出発までにきちんと貯蓄し、海外に踏み出すことができました。

2.アシスタントナースだからこそできることがあった。

オーストラリアに出発し、まず語学研修からスタートしました。次にCertificate 3、そして仕事という流れです。

語学研修

カランメソッドという特殊な英語学習法での英語学習と、メディカルイングリッシュを並行して学びました。
オーストラリアにはさまざまな国の人々が暮らしています。語学学校にもさまざまなバックグラウンドを持つ先生方がいて、アメリカ英語、イギリス英語、オーストラリア英語とさまざまな英語を教えてもらいました。日々新しい単語や表現を学び、多様な英語に触れることのできた語学研修は、とても楽しかったです。

Certificate 3

語学研修を終えた次のステップは、Certificate 3と呼ばれるコースです。Certificate 3はオーストラリアでアシスタントナースとして働くために必要な専門コースです。語学研修時に英語を学んでいたのとは違い、英語で看護を学ぶというコースになります。

分厚い教科書と、看護や介護に関する専門用語のオンパレード、日本とオーストラリアとの看護感の違いなどに翻弄されながらのCertificate 3のコースは、語学研修よりも大変でした。しかし、決められた項目を一つひとつこなし、Certificate 3という資格を取得するという明確な目標は、私にとってよいモチベーションになりました。
日本で、日本人は、日本人に対してしか看護を提供していません。対してオーストラリアでは、アボリジニの方なども含め、さまざまなバックグラウンドを持つ方に看護を提供します。今までマジョリティであることが当たり前だったところから、日本人である自分がマイノリティの立場に立つことがある、という感覚を感じ、「平等とはなにか」ということをとても考えさせられたコースでした。

仕事開始

Certificate 3を修了すると、すぐに仕事を始めました。
アシスタントナースとしての仕事の主な業務は、食事介助、シャワー介助、オムツ交換、更衣、移送、トイレ介助、アクティビティ参加補助などでした。「作業」として見ると「簡単」に思える仕事かもしれませんが、実際に患者さん、利用者さんとコミュニケーションを取りながら、そして一人ひとりのクライアントのQOLを意識しながら看護を提供しようと思うと、そんな簡単なものではありません。そこには工夫と努力が必要でした。

例えば、先述した通り、オーストラリアにはさまざまなバックグラウンドを持つ人々が生活しています。
ナーシングホームにも、フランス、ロシア、ハンガリーなど、さまざまなバックグラウンドを持つ人々が生活していました。もともと外国語を学ぶことが好きだった私は、ときおり、ロシア語やフランス語で「ありがとう」や「調子はどう」という簡単な言葉を覚え、彼らに語りかけました。すると、大きな笑顔で喜んでくれます。
食事介助をするとき、移送の行うとき、些細なことですが、彼らがハッピーな気持ちで日々の生活をおくることができるよう、いろんなことを考えました。

正看護師は忙しく、作業になりがちな業務も、アシスタントナースだからこそ、丁寧にきちんと時間をかけて提供できるというのは魅力的でした。アシスタントナースとして長く働いている方のなかには、看護師よりもクライアントのことを理解している方もたくさんいらっしゃいます。病院ではなくナーシングホームだったからということもあるかと思いますが、看護助手に任せられている仕事も多く、正看護師は正看護師だからこそできることがあり、アシスタントナースにはアシスタントナースだからこそできることがあると感じることが多くありました。

もちろん、苦しかったこともあります。
例えば、終末期の利用者さんを担当した際のことです。私は些細な変化も毎日正看護師に報告しました。義務ではありませんでしたが、そうせずにはいられなかったんです。彼女は私の報告を「助かるわ」と聞いてくれました。しかし、そこは施設であって病院ではありません。「治療」が目的ではないという役割の異なる場所での仕事に、戸惑いと、やや、やるせない気持ちを持つこともありました。そんな時は、自分は今「アシスタントナースなのだ」と、自分自身に立場を言い聞かせました。
すべての経験は、いろんな意味で私の看護観を広げてくれるいい経験になったと感じています。

3.自分らしくあれると感じたオーストラリアでの留学生活

アシスタントナースとしての収入は、週600ドル~800ドル程度。日本円だと月の手取りが23万円~30万円くらいだったので、生活は十分に楽しむことができました。

最初の4週間はホームステイ。その後は、シェア生活を送りました。
シドニーはとてもイベントの多い街で、南半球最大の光と音楽の祭典として、また、冬のシドニーを彩るイベントとして人気のVIVID SYDNEY(ビビッド・シドニー)や海外のお笑い芸スタンドアップコメディなど、月に1度は何かしらエンターテイメントを楽しみました。有名アーティストのライブが多く開催されており、時には私の大好きなアメリカのコメディアンが、自分が飲んでいるBarで、すぐ近くに座っていた…なんてこともあり、とてもエキサイティングでした。

他にも、オーストラリアという異文化が入り交じる国に来てみて、さまざまな価値観に触れることができました。
彼らは日本人のように、「年齢」や「周囲の意見」に囚われません。常に、自分がどうしたいのか、どうなりたいのかを考え、自分らしく生きています。日本人のように、もう〇〇歳だから結婚しないととか、〇〇歳にもなって大学で勉強するのがおかしいとか、そんなことは一切考えていないんです。むしろ、体力や知力、経験、さまざまなことがマッチする20代後半、30代だからこそ、チャレンジすべきことがあると考えている方も多くいます。そんなオーストラリアでは、私も、日本にいたときより、自分に素直に、自分らしくあれる瞬間を感じました。

4.看護留学を考える皆さんへのメッセージ


オーストラリアでアシスタントナースとして働く経験は、日本でのキャリアに決してマイナスになりません。むしろ、価値観や視野を広げてくれるプラスの経験になると思います。

後悔先に立たず。31歳を超えたら、アシスタントナース有給インターンシップには参加することができません。
20代から30代は、その後、長く続く人生の選択肢を広げていくためにも、さまざまなことにチャレンジしていくことのできる時期だと思います。
挑戦してみたいと思うならやってみるべきです。