看護留学で得たものは大きい。|三木 千絵美さん

看護留学で得たものは大きい。|三木 千絵美さん

留学期間 2015年5月~2017年4月
滞在都市 シドニー/オーストラリア
留学プログラム アシスタントナース有給インターンシップ
インターン先 ナーシングホーム

誰かがやってくれる精神はシフトチェンジしないとだけど、自分で動く精神も身に付くし、本当に世界が広がる。この留学で得たものは大きいし、大変なこともたくさんあったけど、本当に楽しかった。やりきった2年間でした!とすがすがしく体験談インタビューに応えてくださった千絵美さん。本当に中身の濃い、タフな看護留学2年間でした。そんな千絵美さんの体験談をご紹介します。

1、走り切った臨床5年。その後の目標が……

看護留学 体験談
海外には、学生時代の修学旅行がハワイだったことをきっかけに、「こんなに違う世界があるんだ!!」と興味を持つようになりました。日本という小さい世界から飛び出して、世界の広さに触れた瞬間だったのだと思います。その後も看護学生時代、アメリカのシアトルへ病院見学に行く機会があり、より興味が強くなっていました。
学生時代に何度か海外に触れたことにより、就職後は海外旅行にも行くようになりました。年に1~2回のペースでいろんなところへ行きました。
就職して5年間は必ず臨床を積む!と決めていたので、留学のことは最初ぼんやりとしていました。
ただ、臨床4年目に差し掛かり、目標としていた臨床5年を終えるまで残り1年…となったとき、次なる目標をどうすべきか…、悩む…というか、改めて真剣に考えました。
臨床を積み始めたときは、5年間働く中で、次の目標が見えてくるのではないかと考えていました。しかし、どちらかというと、やりきった感のことが大きく、だったら思い切って何か違うことにチャレンジしてみるのもありなのでは?と考えるようになりました。そんな時、以前から興味のあった留学に対し、改めて興味を持ちました。当時26、27歳だった私は、いろんな意味で「今」がタイミングではないかと感じたんです。

2、決断したら揺るがなかった思い

看護留学 体験談
師長との面談が臨床5年目に入る4月にあるため、臨床4年目の終わりから留学に関していろいろと調べ始めました。留学と一口に言っても、さまざまな留学制度、留学プランがあるので、何を軸に留学しようかは、いろいろと考えました。ただ、やはり帰国後も看護師以外の仕事に就くことは考えていなかったので、それであれば、今までの看護師の経験が活かせて、且つ、海外の看護の現場も体感できる看護留学にしようと思いました。
看護留学となるとワールドアベニューを含め2~3社程度しか、取り扱いがありませんでした。なので、留学会社選びが大変…ということもなく、決断することができました。

大きなことを決断するのに、お金のことや、手続きのスケジュール、その留学で何を経験できるのかなど、一つひとつ整理しました。本当にこれで頑張れるのか?私のやりたいことはこれ(アシスタントナース有給インターンシップ)なのか、など、じっくり考え、納得できたタイミングで申込をしました。師長との面談を目前に控えた2014年3月頃だったと思います。師長にも両親にも、自分自身がきちんと決断してから、伝えました。
書類面や資金面の準備には、大変なところもありました。ただ、留学するぞ!と決断したのが、渡航の約1年前で、月々のお給料やボーナスなども計画立ててきちんと貯金することができましたし、書類の準備もやや大変だったことはあるものの、時間をきちんと設けためなんとか準備することができました。
決断するまでやや慎重になるところがあるものの、決断したら揺るがない性格なので、そのあとは、特に大変なこともなく、準備を進めていきました。

3、あとからジワジワと感じた語学研修の効果

看護留学 体験談

1年間の準備期間を経て、2015年4月、いざ出発しました。

語学学校に約3ヵ月間、その後、オーストラリアで正看護師として働くために費用な資格取得のためCertificateのコースの受講、セカンドワーキングホリデービザ取得のためにファームへ行き、その後、アシスタントナースとして働き始めました。

昔から英語に興味があったため、看護学生時代から英会話レッスンにも週1~2回くらいで通っていたし、最初のカランメソッドでも一般的な日本人の学生さんたちよりはやや高めのレベル4-5からのスタート。やや高めの英語レベルがないと受講できないと言われる医療英語のコースも受講することができ、最初、英語の勉強に関しては、大きな不安はありませんでした。

・医療英語コース
医療英語コースでは、難しい病気の名前や薬の名前などを学ぶというよりは患者さんや利用者さん、他の医療従事者の方たちとの「コミュニケーション」を学ぶというイメージでした。受講していた方の中には、もう少し専門的な用語や単語、表現を学びたいという感想を持っていた方もいたようですが、私的には、実際に後のCertificateコースや仕事の現場でも役立つ表現を学ぶことができたため、良かったことだと思っています。

・Certificate
Certificateは、いくつかの点で大変でした。それは、こなさなければならない課題量であったり、「すべてが英語になる」という点であったりです。ただ、Certificateで最も大変、且つ気が付くべきは、「ここがシフトチェンジするタイミングだ」という点です。Certificateコース受講前までは、なんだかんだ「日本式」です。なんだかんだ、「与えてもらう」ことが多く、またそれが普通です。到着してからワールドアベニューからのオリエンテーションで現地生活のことを手取り足取り教えてもらい、語学学校では「英語ができないことが当たり前」という前提のもと、英語を学びます。ただ、Certificateからは違います。「ある程度英語ができるのは当たり前」という前提で先生たちも授業を提供しますし、実習も同様です。わからないことや聞きたいことは自分で積極的に聞かなければ、わからないままことが進んで行きます。Certificateコースは、何事も自分から発しなければならなくなる「海外式」にシフトチェンジするタイミングだったと思います。

4、1年通してバッパー生活!?

看護留学 体験談
Certificateも無事修了後、ファームに移動しました。
私は、留学初期のころから、2年間いる、と、ほぼ決めていました。人生長いので、せっかく仕事を辞めてまで飛び出したのだから後悔なくやりきれることはなんでもやってこようと思っていたし、長年、さまざまな看護師さんを見ているワールドアベニューの現地スタッフYoshiさんからも「千絵美さんなら楽しめると思うよー」とコメントいただき、「そうだよな!」とあらためてうなずけた(納得できた)ことも大きな理由の一つでした。

ここから、私のバックパック生活がスタートしました(笑)

日本人がよく利用する情報サイトや日本人ネットワークには頼らない!と決めていた私が、ファーム先として移ったのは、ケアンズから1~2時間程度離れたバナナが有名なファームでした。バッパーで暮らしながら、ファームジョブの斡旋を受けるというスタイルになっていて、玉ねぎ、マンゴー、ライチ、ライム、芋、バナナ、さまざまな果物や野菜を収穫したり育てたりしました。そのファームで働く人のほとんどがヨーロッパ人で、なんとヨーロッパ:日本人=40:1という感じでした。当然ですが、英語しか通じず、ここにきてあらためて英語に悪戦苦闘しました。

看護留学 体験談

シドニーで英語の勉強をしていたとき……
カランメソッドは、今まで勉強してきた英会話レッスンとは全く違う手法で、細かな文法や発音をひたすら「正しく」話せるように、トレーニングするというイメージでした。ただ、正直な話、カランメソッドを受講していたときには、そこまで発音や細かな文法って大事なのかな……と感じていました。また、この方法で本当に喋れるようになるのかな?と思ったこともありました。

しかし、ファームに移った瞬間、物凄く簡単な表現なのにも関わらず、「発音」が悪いだけで、全然伝わらない、ということが多々ありました。ヨーロッパの子たちは、もともとアルファベットを利用しているため、発音もものすごくよくて、このときはじめて、発音の大切さを体感し、あらためて、カランメソッドを受講していたときに学んでいたことを復習しなおしました。真剣に発音の練習を繰り返したんです。

ファームに移った当初は、結構落ち込みました。
仕事面では1日8時間、芋の収穫と格闘することもあり、「私、今何やってるんだろう」と思ったこともありました(笑)しかも、そんな中で、文化や習慣、考え方も違うのに、コミュニケーションがうまく取れない。語学学校では、少し上のレベルにいたはずなのに、いざ英語を使う環境に出てみたら、実際は全く伝わらない。
本当にへこんだことを覚えています(笑)

へこんでいた時期は、やや被害妄想気味で、ヨーロッパの子たちは英語がへたくそな私なんかと一緒にいたくないんじゃないか…、めんどうくさいから和のなかに入れたくないんじゃないか、そんな風に思っていた時期がありました。でも実際は違ったんです。ある日を境に、「このままじゃだめ!もっと楽しまなきゃ!」って気が付いて、ちょっと勇気を出して、ヨーロピアンの中に飛び込むようにしていったんです。
すると驚くことにヨーロッパの子たちに「私たちと一緒にいるのが嫌なのかと思った」と言われたんです(笑)。そのとき、「あぁ、私、卑屈になっていたんだな」と気が付きました。それからは、世界の色が変わったのようにヨーロッパ人の子たちとの生活を楽しみました。
最終的には、イタリア人の女の子と仲良くなり、ファーム修了後、シドニーに戻ってくる道を2人で約1ヵ月かけて、ロードトリップしながら帰ってきたほどです。
イタリア人の彼女は30歳手前で、年齢が近かったこともあり、ファーム中も、ロードトリップ中も本当にたくさんのことを話しました。

この時の経験が後に、アジアを一人でバックパックしようという決断につながったと思います。

看護留学 体験談

2016年4月、約半年間のファーム生活を終え、シドニーに戻り、ワールドアベニューからアシスタントナースの仕事を斡旋してもらいました。斡旋してもらったのは、ハンターバレーというシドニーから北に2時間程度(公共機関を使うと4時間程度)上った田舎町での仕事です。
もともと、田舎好きとかではなく都会派なのですが、この時はハンターバレーでの仕事が、いろんな意味で自分の求める条件を満たしていました。例えば、ネイティブ環境であること、1ヶ所の施設に専属で派遣されるため、数か所の施設に行く必要がないこと、仕事があり、しっかりと稼げるなどです。

同じ派遣会社(介護施設)で働けれていた松田 侑花子さんの体験談

生活面は結果、バッパー生活でしたが、アシスタントナースとして働く前に、ファームでバッパー生活をしていたため、「行ける!」と確信して、仕事をスタートすることができました。今思えば、いろんな意味でだいぶタフになっていたんでしょうね(笑)

それに、ハンターバレーはシドニーからは車で2時間、公共機関を利用すると4時間程度かかるものの、シドニーに戻ろうと思えば戻れない距離ではありませんでした。私は、留学したばかりの時に滞在したホストファミリーとの仲が非常によく、「シドニーに戻ったときはいつでも遊びにおいで」と言ってくれていたので、ハンターバレーで働きながら、月に1回程度はシドニーに戻り、都会でリフレッシュもしていました。

シドニーへ戻る以外にも、合間合間で、ダーウィンやブルームへ旅行もしました。

仕事面は、一緒に仕事をするスタッフも、利用者さんもすべてオーストラリア人、しかも、田舎なので、すでにコミュニティが出来上がっている状態の中に、飛び込むのはとても勇気がいりましたし、実際大変でした。
オーストラリアの田舎の方の英語はややもごもごした喋り方をすることや、オーストラリアのスラング(ハンカチがハンチ―だったり……)最初はリスニングにも苦労しましたし、彼らも私たちの英語に慣れていないので、英語でのやりとりはだいぶもどかしいものがありました。ただ、言葉はまだまだでも、そこは日本人クオリティで勝負です(笑)。日本で叩き込まれた「仕事は探してでもやる!」という感覚が、「あの日本人の子たち、働くなー」という印象を与え、それが「信頼」に繋がっていきました。頑張ることが一つひとつ評価、認められている感覚があり、とてもうれしかったです。

また、原則的に、残業はないし、利用者とスタッフが互いを尊重し合うことを大切にしているので、働きやすさは、環境としてとてもよかったと思います。

例えば、利用者さんの言っていることがわからず、罵倒(というと少し言葉が強いかもしれませんが…)されたことがありました。その時、スタッフさんが利用者さんに対して、「それでも、彼女はあなたをケアしてくれている人で、間違ったことは何もしていない。そんな風に怒鳴るのはおかしい」と言ってくれました。私の英語力の問題が大きいので、私自身は「申し訳ない」と思っていたところもあったのですが、日本にはない、この互いを尊重し合うという姿勢やあり方に不思議な気持ちになりました。

かなり働いていたので、お給料もよかったです!
月に4,000ドル(1ドル=90円計算だと36万円)手取りで、×6ヵ月間だったので、半年間で200万円程度稼ぐことができました。さらにタックスリターン(日本でいうとことの確定申告のようなもの)を行った際に、ファームで働いた分と、アシスタントナースとして働いた分、併せて3,000ドルから4,000ドルが返ってきて!プチボーナスのようでうれしかったです。

5、最後は思い切りバックパック

看護留学 体験談
アシスタントナースとして10月末までの6ヵ月間、しっかりと働きました。
その後、シドニーに戻り、新しい派遣会社を紹介してもらおうと、当初は考えていたのですが、1年間のバッパー生活を経てきた私には、いつしか「ここで落ち着くのがもったいない」という気持ちが芽生えていました。
シドニーに戻るととてものどかで落ち着いた生活が待っているようで、なんとなく、「普通」な感じがして、もったいないなと思ったんです(笑)

そこで、仕事を終えた後、アジアへ1人、バックパックへ出ました。
マレーシア、ラオス、シンガポール、ベトナム、カンボジア、バリです。

日本にいたときから旅行は大好きでしたが、日本にいたときは、日本の旅行会社が企画するツアーに参加することが多く、すべてスケジューリングされているとまでは言いませんが、ある程度箱が決まっていて、そこに乗っかるような形で旅行することがほとんどでした。

だから、完全にすべて自分で0から企画して旅行するのはこれが初めてでした。
看護留学 体験談
1人と言っても、現地に行けば旅の途中で出逢った人々と一緒に旅をしたり、元々の友人と現地集合することもありました(笑)英語ができるようになったことで、英語ができなかったときとは比較にならない情報量を得ることができます。旅行先で都度出会うさまざまな人々と、「英語で」コミュニケーションが取れることはもちろん、互いの旅の一部を共有できたり、旅先に関して情報交換することができたりするのは、とてもいい経験でした。必要な時は交渉することもできます。日本語ガイドが必要ないので、お金の節約にもなり、英語ができることのすばらしさを改めて感じました。

旅行中、日本人、女性の1人旅なので、なめられやすいし、大丈夫かな…とやや不安な一面もありました。
ファーム中に出会ったヨーロッパ人の友達からも旅中の危機管理を学び(彼ら、普段はとてもパーティーピープルなのですが、旅行などでの危機管理はとにかくしっかりしていて、すごいんです!)、大きなトラブルもありませんでした。

その後、シドニーに戻り、仲良くしてくれたホストファミリーを始め、思い出の地と思い出の人々をめぐり、最終、泣きに泣きながらお別れを言って日本に帰国しました。

6、今後のプランと皆さんへのメッセージ

看護留学 体験談
日本に帰国し、改めて「看護師に戻りたい」と思いました。
これは私にとってとてもよかったことだと思います。しばらくは派遣で働きながら、仕事探しをする予定ですが、今までの経験や英語力なども活かせる環境で看護師ができればベストだなぁと感じています。

留学は勇気がいると思います。
留学すること自体にももちろん、仕事を辞めること、日本を離れること、いろんなことに対して、不安を感じることがあると思います。でも、実際に留学してみて、やりたいと思うなら、やらずに後悔するのは本当にもったいない!と思っています。やらないで後悔よりはやって後悔の方がいいと思います。
ワーキングホリデー制度を利用するアシスタントナース有給インターンシップは、30歳までしかチャレンジできません。30歳までの1~2年なんて、外に飛び出し、いろんな挑戦をして全然大丈夫!失うものよりも得るものの方が大きいと思います。

誰かがやってくれる精神をすて自発性を持たないといけない、自分の意見や考えを自らどんどん発信していかないといけないなど。大変なこともたくさんあるけれど、やりきってみると達成感がものすごいです。
ぜひ、挑戦してみてくださいね。

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